皆様、いつも応援有難う御座います。

ご報告が遅れました・・m(_)m

 

 

母、去る11/10に丸10年間、お世話に

なった、特別養護老人ホームにて死去。

 

 

もう本当に特養ホームさんには最期まで

お世話になって感謝しかありません(涙)

 

 

直接の原因は「老人性嚥下性肺炎」に

よるものでしたが・・

 

(死亡診断書:2段目の欄には→

アルツハイマー型認知症25年間。

と、、書かれてました・・。)

 

 


10/15の夕方、特養から救急搬送され、

病院にて尿路感染症(発熱)と誤嚥性

肺炎の治療をして貰ってました。

 

 

 

治療していただいたドクターや

看護師さん方にも感謝しか無い

です。。(涙)

 

 

だって、自発呼吸で座位も保ち、

ホームケアマネジャー長さんの

(=特養の係長さん)お迎えで

 

上記のハイバックの車椅子で

デイ&ショートで馴染みある

車(バン)に乗ってホームに

帰れたんです。。(涙)(涙)

 

 

ホームでは看護師さん方の隣室で

病院入院時の様なマスクは無しで

 

看取り介護を2日半程していただき

ました。本当に有難かったです(泣)

 

 

11/10、葬儀社さんのお迎えが来る前には

介護職員さん方が、忙しい合間を縫って

母に声を掛けに来てくださいました(涙)

 

 

葬儀社の寝台車が到着し、ストレッチャーに

青いビロードの布にくるまれて横たわる母は

 

フロアで大勢の介護職員さん方に見送られ・・
 

私は介護職員さん方におじぎした途端に涙が

溢れて、止まりませんでした。。。

 

(私=姉夫妻の前では泣いてない(^^;))

 

 

それは、母が息を引き取って悲しいとか

じゃなく→この方々のお陰で!!今の私が

ある。。(在宅介護から社会復帰出来た)

 

感謝の涙だった事を今度、最後の手続きに

行った時に施設のホーム長やケアマネさん

へお伝えしようと思ってます。。

 

 

そして現在、母は葬儀社さんの安置所にて

「6泊7日の予定で火葬場待ち」です(汗)

 

母は、火葬日が11/16となる為、私と姉夫妻の希望で

エンバーミングを(遺体衛生処置)施して貰いました。

 

 

亡き父は80歳の時に旅立ったので来月で

90歳を迎える母を美しく・・って(私達、

姉妹の勝手な願望ですが)

 

 

亡き父にも綺麗な母を見せて、約70年ぶりに?

 

(父と婚約したのが母=20歳。結婚時が

21歳でした)

 

 

惚れ直して貰いたいと思ってます ^^

 

 

憎むべきはアルツー病で母じゃ無い!!

(懐かしい旧Yahooブログより)

 

ここまでの長文、お読みくださった皆様、有難う御座います。

 

----------------------------------------------------------------

追記:皆様、お忙しい中、メッセージやコメントを

寄せてくださり有難う御座います。

 

昨日、11/16に無事に母の葬儀、全て終わりました。

 

姉夫妻・私達夫婦、姉の子供達、

(母からは35歳の初孫と、その弟で29歳の孫です)

 

ごく身内だけの小さな葬儀でしたが、棺の中はとても

賑やかな贈り物で一杯に☆(=火葬場の規定内ですが)

 

一番、嬉しい贈り物⇒5歳になる「ひ孫ちゃん」から

ひらがなで「ひいおばあちゃんへ」と書かれた手紙が

折り紙の様に折ってあり、とても可愛らしく(涙)&

 

デイサービス時代の色紙(愛知に移転した時に各デイ

の皆さんとの記念写真と寄せ書きが沢山)デイサでの

イベント写真、特養ホームにていただいた傘寿・米寿

のお祝いの表彰状ほか、孫達からのお花も添え、母の

大好きな柿を二つと(ヒデ父と食べてね)母の好きな

アンパンも各入れて「お母さん、有難う。お父さんに

宜しくね!」と・・☆

 

母、白装束に草鞋(ワラジ)姿なのでやはり「旅路」

を連想☆ 四十九日までは徒歩3分の姉宅に居るので

 

母に「お母さん、お姉ちゃんの右手・右足を治して」

と私もお願いしようと思ってます。(=週3日、訪問

リハと通所リハで脳内出血の右麻痺・後遺症の治療中)

 

↑この日、傘寿(80歳)のお祝いを

いただき、嬉しそうに祝い膳を食べて

いた時の写真があり[遺影]にしました。

 

 

「お母さん」と言って「なあに」と答えてくれる声は

もうありませんが、脳裏に優しい顔の母が浮かびます。

 

忌引き明けの今日から又、自身の仕事&ライダー便夫の

応援と、母への供養=元気に暮らしたいと思います(^^)

 

--------------------------------------------------------------

追記2:皆様、ご無沙汰しております。。去る12/24、父と

同じお寺(納骨堂)にて母の四十九日法要を執り行いました。

 

父亡き後、14年ぶりに扉を開けて(各ブロック割りしてある)

ヒデ父の骨壺の横に母を安置して、姉夫妻&姉の子供達と当日

5歳の「ひ孫ちゃん」も(←両親から見て)参列して皆で亡き

両親に声を掛けて扉を閉めました。(ロッカー式の納骨堂です)

 

今は、感無量です!!「父さん&母さん、皆を見守っててね!!!」

 

 

↑私の前を元気にスタスタ歩く両親♪♪

※2009/5/3(当時:父=79歳。母=75歳)

 

旧Yahooブログ「散歩日和:気ままにテクテク♪」

から「昭和一桁:ヒデさんち♪」ほか、これまで

親介護の応援、有難う御座いました。m(_)m

 

来年2024年からは、このブログのタイトル通り

真っすぐに励んでいきます!!(^^) 引き続き、皆様、

宜しくお願い致します。良いお年をお迎えください。

 

-----------------------------------------------------------

追記3:皆様、又もご無沙汰しておりますが、2024年が

スタートして早4週間ですね。。地震災害に遭われた皆様、

心よりお見舞い申し上げます。

 

私達夫婦は今から約13年前、「3.11」の後、都内計画停電

があった頃に「職」と「住」を求め、約40年住んだ都内から

認知症介護で知り合ったブロ友さんの居る愛知県へ移り住み

ました。認知症の母の在宅介護で生憎「職」には就けません

でしたが⇒「お水が出る」「お湯が出る」「電気が使える!!」

 

在宅介護には欠かせません。。当時「疎開」して思った事は

「当たり前と思っていた事」が、どんなに「有難い事なのか」

です・・。(一時、移転して「計画を練る」のもアリかと☆)
 

現在、川崎市の姉夫妻の近所に住んでますが(2013年9月

から丸10年が経ちました)いずれは、ガレージハウスまたは

私の都内職場に通い易い「バイクガレージ付き」物件に移ろうと

思ってます。

 

 

■元日から新しい記事を更新するのを何となく、ためらって

いましたが、この追記3までお読みくださった皆様、改めて

有難う御座います。

 

先日、特養のケアマネジャーさんから連絡を貰い、母の最後の

精算の計算が完了。(介護保険の絡みで1月精算になると昨年

11月に言われてました)1/末に慣れ親しんだ特養へ向かいます。

 

丸10年、母を看ててくださった職員の皆様方へ、心ばかりですが

チョコレートの差し入れを持って行く予定です。(感謝しか無い!!)

 

↑コロナ禍前は自由に母と逢えました。

 

 

1月末をもって、母の「認知症記録」ともお別れです。2月から

ブログも再スタートしたいと思ってます。「稼業」のバイク便と

私の「ペーパーライダーヨタヨタ日記」中心の内容になるかも?

又どうぞ宜しくお願い致します(^^)