人生の本質とはなんだと思いますか。

 

人それぞれ考えはあるかと思いますが、
それらの考えを更に深く掘り下げていくと
必ずたどり着く場所があります。

 

それは人間は必ず死ぬということです。

 

そこで哲学者セーレン・キェルケゴールはそのことを

 

『死に至る病』

と表現し、


すなわち人生とは絶望である言いました。

 

キルケゴールが言う『4つの絶望』

 

①無限性の絶望
頑張って何かを学んだり、素晴らしい芸術に触れたり、高い目標や理想を追求したとしても、実際には理想には追いつくことができずに絶望する。

 

②有限性の絶望
妄想の世界に逃げず現実の世界で頑張って欲望を満たしても、それは一時的なことで次なる欲望が生じてしまい、果てしない欲望の追求についには 虚しくなり自分を見失い絶望すつ。

 

③必然性の絶望
運命や因果論を受け入れて、自分の身に起きることを全て「必然」と捉えてると、自分の意思で未来が変わるという可能性を失うことにもなり絶望する

 

④可能性の絶望
少しでも可能性があれば人は、わずかな望みに希望をつなぎ絶望しないでいられるが、どんなに頑張っても結局は最後に「死」が訪れるため全ては無意味だと絶望する。

 

ちなみに、
人には「可能性」が必要であり「可能性の実現」が必要ではない。

 

実際にオリンピック金メダルを目指して何年も努力して金メダルを獲った選手は、目標を達成して目標がなくなってしまったため、金メダル獲得後は生きる希望がなくなり自殺を考えてと言っています。

 

つまり、可能性は実現せずに、ずっと夢を見続けられた方がいい。

 

キルケゴールは自ら人生は絶望と定義しておき、
その絶望から救われるための方法も提示しています。

 

『絶望から救われるための思考法』

 

第一段階:美的実存

 

人生は楽しけりゃそれでいい!本能のまま実存しよう!と、
楽しいことや気持ちい事を追求して絶望から目を背ける。

 

しかし、
快楽だけを求めてもそれを手にしても、いつかは虚しさを感じるようになる。

逆に、楽しく生きようとしても快楽を得られなければ更に辛い。

 

結局は快楽を手に入れても快楽を手に入れられなくても絶望する「快楽の奴隷としての絶望」を味わう。

 

第二段階 倫理的実存

 

良心をもって誠実に真面目に生きて、
社会人としての役割や義務を全うして、
他者に対しても責任を持って生きることで絶望から目を背ける。

 

しかし、
良心的であろうとしても良心的でいられない自分に気づき


「私はなんてダメなんだ。。」


という絶望に陥ってしまう。

 

第三段階 宗教的実存


「神だけは死をも乗り越える可能性を持っている」と強く信じて生きる。

 

神を信じることで確実に絶望から救われるかは不明だが、
歴史的事実として神を信じるしかない。

 

人は何かにすがらないと絶望から逃げられないし、
人は本当の意味で自立して生きられない。

 

結局、キルケゴールは絶望からは逃れられないということを言った。

 

もちろん、
今から200年前の哲学者なので
時代背景も待ったく違いますが、
このキルケゴールの絶望についての解釈は、
ただ絶望しなさいということではありません。

 

本当に絶望から目を背けないからこそ、
絶望が前提だからこそこの世界の快楽を堪能できる。

 

分かりやすく言うと。


食事制限をしている時に食べる炭水化物がものすごく美味しくなるのは、
快楽を制限して、食べたいものを食べられないという絶望と向き合うからなのと同じです。

 

マイナスなことは目を背けないからこと
マイナスなことに支配されない。

 

 

 

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