卑弥呼からのシルクの歴史、変遷、その奥深さに驚いています。
天蚕の繭と絹糸です。(日本絹の里)にて撮影養蚕の歴史は5000年以上前に中国に始まり、カイコから絹を作るということを3000年以上、宮廷の秘密としていました。(年代は諸説あり)紀元前200年漢時代に入り、西域との貿易から絹が中近東を通りローマまで伝わっていく道がシルクロード(絹の道)です。同じころ、日本にも稲作と一緒に伝わったとされています。弥生時代、卑弥呼が邪馬台国を治めていたころ、魏志倭人伝に卑弥呼が絹を贈ったことが記されています。魏から贈られた親魏倭王の称号と、金印、銅鏡100枚そして蚕からできる絹という衣装をつくる技術が国をひとつにまとめるのに重要な役割を持っていたと考えられます。卑弥呼は呪術的な政治を行い争いの多い部族をまとめて平和をもたらしますが、人の前に姿を現すことがなかった謎の多き女帝です。1000人の召使を従え、卑弥呼の死とともに葬られた1000人養蚕がその時代に公表できないものであったことが推測されます。奈良時代には広い地域で養蚕が行われるようになり、税として朝廷に集められるようになります。平安時代には十二単衣に代表される日本独自の絹織物が作られ鎌倉時代に地方へと技術が拡がっていきました。・・大正時代の銘仙まで行きたかったのですが、今日はここまでとします。カイコ・絹の歴史の面白さと、そして身近であることに驚いています。カイコはメタリックデコレーションに関係ないと思っていたのですが、シルクを使って作る工程が出てきて、その生産から、消費まで一直線に関わっていました。とても不思議な縁を感じています。iPadから送信