近鉄、大和西大寺駅。
いつも使っているこの駅。
まさかここで、あんなことが起きるなんて。
この場所が、これほど何度もニュースに登場することは
あとにも先にもきっとない。
駅前のスタバ前に、献花台がおかれ、
たくさんの人が献花をささげにおとずれていた。
駅の近くではお花を持った人をたくさん見かけたし、
それはもう途切れることがないようだった。
私もせっかくきているので、お花を捧げることにしました。
まず、今回のことは日本で起きるとは信じがたい、という印象だった。
まるでJFK。
こういったことは、どこかで「遠いところで起こるもの」というふうに
私たちは思っているのかもしれない。
けれど、実際、どこで何が起こってもおかしくない世の中だ。
私は正直、とくに安倍さん支持派というわけではなかったけど、
とても残念に思うのは、
ゆがんだモノの考え方によって引き起こされた結末である、ということ。
そんなしょうもないモノにやられてしまったのが残念だ。
間接的な存在の誰かを恨んでも
それは八つ当たりであって、根本的な問題は何も解決しない。
無差別に誰かを、とかはその典型。
人は何か問題に直面すると、2つのタイプに分かれる。
- 問題から目をそらす
- 問題に向き合う
目をそらした場合は、
問題をなかったことにして放置し、そのまま抱えていく場合と
今回のように短絡的に「外」に原因を特定して
それに向かって怒り、恨みをぶつける場合がある。
その恨みがもはや生きる糧化(かてか)する。
向き合った場合は、
解決策を講じるために必死に考えるだろう。
多くの問題は解決するものだと私は思っている。
解決できない問題が全くないとは言わないが、
直接に解決できないとしても
代替案でまかなえたりも、すると思う。
ここで大事なのは、やはり大局的にものごとを見つめ、考える力。
思考力が重要だ。
一方で、
「奈良に行くのこわい」
「奈良県民あぶねえ」
といった声が上がっているようだが
こちらもまた、表面的で浅はかな物言いだなと私は思ってしまう。
「奈良そのもの」や「奈良県民」と
今回の馬鹿者が起こした事件で
安倍元総理が亡くなってしまったことは何の関係もない。
そんなこと言い始めたら
日本中、いや世界中のどのエリアもこわいし
誰かれ関わらずあぶねえ。
というわけで、
常日頃、思考力をアゲアゲにしていきたい。
安倍元総理のご冥福をお祈り申し上げます。