「私は私である」
「私は他の誰でもない」
「あなたは他の誰でもない、あなたなんです!」
自己啓発とかでよく出会う言葉だと思います。
これ、
より正確に書き直すと、
「私は『私』であるか、または『私以外の他の誰でもない人』である」
と、なります。
これは、言葉というもののが作られている上で、
反論の余地がなく、原理的に「真」にしかならないメタ言語と呼ばれるものです。
ロジカル、つまり論理って、
真偽を見極めること、なんですね。
そうすると、上記のように真偽を超越した「論理」は無意味なんです。
「あなたは他の誰でもない、あなたなんです!」
と言われて、「わぁ!その通り!スゴイ!」と、興奮しているようでは
先が思いやられるというか、思いやられます。
けど、私自身、そういうのを聞いて興奮し、ときには感動することさえありました。
一方、
こうした無意味な論理なのに意味がありそうに思わせてしまうメタ言語を
乗り越えようとした哲学者もいました。
「『あなたは他の誰でもないあなたである』というのも疑わしい」
というように。
哲学は一般的には「遠い」と感じる人の方が多く、
さらには一般化されていたとしても、
心理学や脳科学といった学問領域と同列に見なされていたりします。
しかし、どこまでも反論の余地がある状態を抱える帰納法など、
俄然、超越して、演繹法の最高視点すら、突き崩す破壊力を持っているのが「哲学」です。
(帰納法と演繹法については、ググればわかります)
哲学者たちが闘っている世界は、そもそもの抽象度のレベルが
他の〇〇学などとは比較にならないくらい違います。
ここでもう一つ、
〇〇学を横において、宇宙の力みたいな「疑似科学」系の言い分をみてみましょうかね
「あなたは今本当のあなたではないかもしれない。
実は『○○』の力が時空間を超えて、あなたの意識に語りかけ本当のあなたを解き放つのです!」
とか、そんな感じでしょうか?
「○○」に入る言葉は「宇宙」「エネルギー」「波動」とか、
あと変わったカタカナとかですが、
「科学的」という言葉も頻繁に使われる傾向があります。
または
「量子力学的にも『気』の力は証明されています!」とか。
ここで、たまたま心が弱っている10人のうち1人でも
「偶然的プラシーボ効果」が起これば、たちまちのうちに
「私は変わりました!だから、気の力は本物です!」という、
自分都合の論理を確立することになります。
プラシーボとは、「気に入るようにしましょう」というラテン語で
偽物の薬 のことです。
ニセモノの薬だけど、効果があることにしようぜ
という無理やりな論理、無理やりな思い込み。
でもこれ、効果があったりするんですよね、思い込みの力でね。
しかし、現実社会はそう甘くありません。
思い込みでは変われないのは、みんな薄々気づいてるはずなんです。
それでも、そういった意味のない言葉に頼りたくなるのは
論理的に考える力が不足しているから。
私が、「あなたは他の誰でもない、あなたなんです!」という言葉に
感動すらしちゃっていたのは、
目のまえの言葉を論理的に考えるすべを持ち合わせていなかったからです。
心が弱っている時こそ
結果、成果を上げたいと強く願う時こそ、
論理的に考える力を身につけることが必要です。
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