わからないことを説明してもらって
「なんとなくわかった」
という発言が口から出るということは、どういう事か。
A:「わかったような気がするだけ」
B:「わかってないけどわかったふりをしたい」
Aは・・
「わかったような気がする」
この場合、
理解できたぶんを自分の言葉にできないため
真に理解しないままに終わる。
自分の言葉にならないものは
「わかってない」に等しい。
自分の言葉を紡ぎ出そうと頑張ってみること。
じゃあ、Bは・・
「わかってないけどわかったふりをしたい」
それは、
「わからないと思われたくない」気持ちがあるためで
我々人間は、
他人からどう思われるか気になって仕方がない。
これを承認欲求と呼ぶが
実は、Aにもこれが根っこにある。
しかし、
"(自分が)わかってないことを、自分自身がわかっている"
のと
"(自分が)わかってないことを、自分自身でさえ、わかっていない"
のとでは
ちょっと、いや、だいぶ違っていて、
ここで引き合いに出したいのは、
古代の哲学者であるソクラテスが言った
「無知の知」
”わかってないということを、自分がわかっている”
(だから、それすらわかっていない人よりも私は優れている)
ということなのだ。
でも、これって、ちょっと待って
わからないんだからしょうがないじゃん、と開き直ってない??
ソクラテスが開き直りをしたのかもしれないが、
わからんもんは仕方がない!と、そこでやめてしまうと
自分の成長を自分で止めてしまうことになるよね。