横浜みなとみらい
【言語ゲーム】に参加しました。
言葉との戯れの中に
産み落とされた私達。
言葉というものがないなら
目の前の世界はあやふやでボヤけている。
ピントは合ってて目に見えてはいても
そのものの名前がわからなければ、
あるいは、
名前もわからないし何の役目を果たすのか
説明できる言葉も知らなければ、
それはあっても、ないようなもの。
ボヤけているといえば
自分は左右の視力に差がありすぎて
左目で見る世界と
右目で見る世界がマジでまったく違います。
常にピントが合ってる感じな方と
ぜんぜん合ってない方。
同じものを見ても、見え方は違う。
Eyesの目ではなくて
「視点」に置き換えると
「モノの見方」が
自分の世界を変えるということがわかる。
そしてそのモノの見方は
言葉が創っている。
私達、永遠に言葉と戯れるしかない。
これは、哲学的な世界観でいうところ
言語ゲーム理論をうたった哲学者である
ウィトゲンシュタインの世界観。