一般的に語られる「哲学」とは
「自己啓発」に近い。
いや、むしろ混同されている。
人生哲学、
自分哲学、
●●さんのナントカの哲学、
あぁそれって哲学的ですね、etc
なぜ、哲学と自己啓発の混同が起こるかというと
哲学者デカルトのたどり着いた「我思う、ゆえに我あり」に代表される
実存主義が自己啓発のベースになっているから。
実存主義というのは、自己の内面に向き合う思想であり、
それが自己啓発にとっても、とっても、とーーーっても
応用しやすかったのだ。
哲学というものは、正しいとされるものを疑うことで
乗り越えて、新たな思想にたどり着くことを繰り返し発展してきたもので
「我思う、ゆえに我あり」
は、あらゆるものを疑って疑って、
疑いつくした結果、
それを疑っている自分自身だけは唯一、疑えない存在である
という論理から行きついたデカルトの「答え」である。
自分というたしかな存在を確認し
それに向き合い、どんどん向き合い、実存主義は発展していったけど
その自分に向かうことを「させる」ことがビジネスになり
悩める現代人のための自己啓発市場が肥大化した。
自己啓発の海に浸かったまま
哲学を見つめると、自己啓発に見えてしまうので
その違いがわからない。
実は、ぜんぜん違う。
いや、解釈の幅により、同じようなところもあるが
同じようでいて、同じでない。
実存主義の中にも色々な哲学者がいるので
一部切り取られて応用されているだけなので
「実存主義哲学とはこういうものです!」
とは言えない。
また少しずつ色々と書いていこうかと思います。