系譜学者ミシェル・フーコーは
解明しました。
時代とともに変化し続けるエピステーメを。
エピステーメとは
「知の枠組み」のこと
人間がたどってきた時代には
それぞれの時代に
それぞれのエピステーメがある。
例えば、中世ルネサンスの時代。
この時代のエピステーメは
「類似」
つまり、「似ていること」である。
「クルミと人間の脳は形が似てるぞ」
↓
「クルミを食べると頭がよくなるぞ」
けっこうぶっ飛んでないか。
クルミを食べたからって
当然、頭は良くならない。
けれど、その時代の人たちは
それを信じていたし
それが常識であった。
論理的根拠は「似てるから」という
なかば論理に欠いたエピステーメの時代から
17世紀になると
知の時代となり
数学などの学問が幅をきかせるようになる
そして時代はさらに変化し
人間にとって、何が必要か?不要か?
というような、人類学に発展してゆく
こんな風に
時代ごとのエピステーメ(知の枠組み)は
作られてゆくのである
今の知って何だろうか。
情報大洪水大荒れ時代
知という知はあるのだろうか。
あっちもこっちも溺れているような。
その中で必死に何かにつかまるのか
流れに身を任せるのか
それとも
荒れ狂う海に
闘うことをあきらめ
のまれてゆくのか
「知」を見出すのか?
自らの「知」とは何なのか
社会にモミモミ揉まれながらも
開拓してゆく自らの「知」があるに違いない。