事象と事実
この2つは似て非なるものである
けれど、事象を事実としてとらえてしまうと、人生に問題が生じるのである。
たとえば
「トイレが詰まった」
という事象があるとしよう
すると、その事象は「トイレが詰まった」以外のナニモノでもないのだけれど
そこへ、
「汚い」 「気持ち悪い」
といった感情が発生したり
「次できないじゃん」
といった論理が発生し、
事実として自分の一部となり、それは問題へと化す。
そしてこの場合の問題というのは、「次、できない」ということであり
解決策として、自分で道具を使いなんとかするか、人を呼んで直してもらうか
といったことを起こすことになる。
ここで、事象と事実、そして問題について考えてみよう
「トイレが詰まった」 ことは、あくまで「事象」であって
それ自体は「問題」にはならない。
けれど、事象から「事実」として受け止めた瞬間に
感情、論理によって調理された事象は問題へと変化し目の前の皿に盛られる。
盛られるといっても調理するのは自分自身でしかない。
ここでの論理は、「過去にこうだったからこうだ」といった自分の経験
または人から聞いたことによる、xxだからxxxだ、という理屈のこと。
事象=問題
ではなく
事象→事実(現実)→問題
となる。
だから、問題にする前にプラス思考で事象を受け止めて、などと言っているのではなく
事実というのは、およそそうやってねじ曲がっているということである。
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