不自由がなければ自由を感じない
「自由」とは「不自由」が定義され初めて生まれる
だからもともと「自由」なんてものはなかった。
不自由がうまれて、
そのあとで自由がうまれる
だから自由な時間とか自由な生活とか
もともと定義なんかないのに
自由という言葉を好み使いたがり、なりたがる
自由になる
とは、不自由にならないことであり
不自由がわからなければ
自分にとって自由って何かはずっとわからない
「これが自由ってものですよ」
と人から聞いた自由という虚像を見つめているだけ。
もっと言うと、
「これが不自由ってものですよ」
と人から聞いているだけ。
しかし
これがオレの不自由だ、と定義するなら
その瞬間に相対する自由がうまれ、
それを求め、苦悩したとしてもそれを目指し生きる。
または
求めていても手が届かないことに開き直り
自分の定義を覆し、いや覆しきれず、生きる。
世間一般の自由の定義はなかなか変わらない
なぜなら
世間とは人の集まりだから。
多くの人が思っていることが常識であるから。