これからは心である風の時代だとかと言われるが、実は魂の時代なのではないか。なぜなら快のままに生きていたら時間はすぐ過ぎてしまうので、より精神的に生きることを求められているのではないかと思った。

世界の中に私がいるのか、私の中に世界があるのか。現実で相手に不信を持ったとしても、夢の中ではそんなことはなかったりする。ヘッセは私の中にあなたがいるというようなことを言っていたのを思い出した。

相手を信じられないのは、自分が相手を信じていないからか。

医療などでは意外にもフッサールなどの現象学が取り入れられているとは知らなかった。その主旨は妄想や幻覚などをする人を否定してはいけないということだと思う。なぜならその人にとってそれらは主観的に事実だと言えるからだ。世の中ではこれが正しいとかと言い合っているだけではいけないのかも知れない。これはこれからの時代を言い表している。客観という絶対なものだけでは物事を語れなくなっているのだと思う。

資本主義では財産は個人が管理するだろう。それと同じように個人情報は個人が管理するだろう。しかし社会主義では自分の情報は社会で共有するだろう。しかし現代でそのようなことをしたら利害関係的な恐れが出るだろう。資本主義では格差社会が生まれたり、または医療の質が良いなどかといわれる。それに対し社会主義では平等であっても資本主義的な自由ではないだろう。それで財産は個人で管理すべきか、それとも社会が管理すべきか。資本主義では自分のことは自分でしなくてはならないし、しかし社会主義では当然助け合う必要があるだろう。