国定忠治第3弾!★火の車のお萬
■ 史跡 of ジョギングコース およそ⑨ (光市編) ■
□清水宗治関係(弐)□
★清水宗治 正義霊社&亀趺塔★
オカンが書いたぇ~かげんな地図を頼りに辿り着いたら、な~んと仲の良い同級生の家のすぐ裏でした(^。^)>
水攻めで清水宗治等が自刃した天正10年(1582年)から数えて百回忌にあたる天和元年(1681年)清水家5代就治が、宗治の子景治が高松城にあった御軍神である氏神である稲荷大明神を歓請した場所に新たに社号を『正義霊社』として建立したのがこの神社。
向って右の祠が、今も残る『稲荷大明神の石祠』
ついでなんで友人に会って清水宗治 と正義霊社の事を聞いたら
「(=`_´=)ノ彡知らん!」
の一言(-.-;)・・・・まぁ~私の友人なんて、こんなもんです(^。^)>
亀趺塔
この亀部40cmの上の高さ1.9mの一枚岩には、初代宗治がとった正義的行動の来歴が詳細に書かれてるそうです(わたしゃ~全然読めませんが(^。^)>)
なお亀趺塔の撰文は大阪生まれの幕臣・代官で、天保年間に水野忠邦により勘定吟味役に抜擢され、天保の改革を推進させた儒者 羽倉簡堂ですが、羽倉簡堂と言えば、当時、飢饉ですさんだ下総、下野、上野を巡視する旅に出た時に、飢餓に苦しむ村民に救いの手を差し伸べる国定忠治と言う無法者に衝撃を受け『赤城録』を執筆したので有名?(^o^;)です。
っちゅう流れで
★ 先代 広沢虎造 ★
今まで「名月赤城山」「赤城の血煙」の2編を載せましたが (=`_´=)ノ彡国定忠治第3弾!★火の車のお萬★
国定忠治である事を隠し、真庭村の床屋に誘われ、真庭村の女親分火の車のお萬の賭場で壺振りの三次のいかさま賽で二百両をすってしまい・・・・・・
・・・っと、のちに忠治の女房となる、火の車お萬との出会いのお話です。
♪ 火の車のお萬 1/4 先代 広沢虎造 ♪
♪ 火の車のお萬 2/4 先代 広沢虎造 ♪
♪ 火の車のお萬 3/4 先代 広沢虎造 ♪
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冬の夜長、浪曲を聴くもまたムベなるかな(^^ゞ?
終