東京 よわむし - plenty
★☆史跡 of ジョギングコース(超長距離編)☆★
室積から瀬戸内の海沿いを東に向って20キロ(最近は走ってませんが・・・(;^_^A)走ってちょぃと山に入ると第二奇兵隊の総督だった白井小助のお墓があります
で、白井小助ですが、名を素行といい文政9年(1826)7・24萩に生まれ、後周防の熊毛郡字佐木(平生町)に移ってます。四国連合艦隊戦で小銃雷管の暴発により右目を失明。周防の独眼流と呼ばれてた名物爺さんで、近所の人の話によれば幕末当時、坂本龍馬が頻繁に小助の元に訪れてたと言う噂も聞きましたが真偽のほどは謎?です。
嘉永6年(1853)江戸に遊学時、二度目の遊学の吉田松陰と江戸藩邸では起居を共にした。身分的には松陰は本藩の武士で、小助は家老浦靱負の家来で下にすぎなかったのに、松陰を「( ̄0 ̄)ノ寅次郎!!」と呼び捨てにするほど仲が良かったそうで、松陰も「白井小助、甚だ志あり」と言わしめてた才人で品川御殿山に建設中の英国公使館を焼打ち。高杉晋作、伊藤俊輔、井上聞多と幕府の密偵と目される宇野八郎を暗殺。松陰の遺骸改葬にも参加してます。
エピソードとしては、松陰が下田から米国軍艦に密航しようとして失敗(>_<)江戸伝馬町の牢につながれた時、「刀は2本もいらない、鉄砲一丁あれば十分だ」と父から譲り受けた長船の長刀を七両で売り払い金品をこしらえ、松陰のために差し入れて、そのために彼は藩から謹慎の刑に処せられています
なぉ司馬遼太郎著「長州人の山の神」によると明治維新後は、年に一度、後輩で成功者の伊藤博文や山縣有朋の家に乗り込み、酔っ払って無理難題を言いまくって維新の志士を大いに困らせてた(^o^;)とかの逸話も残ってるようですが、基本的には
維新後、郷里で塾を開いて質素に暮らしていたそうです。*注意→ここまで走ってくると往復するとほぼフルマラソンに匹敵する距離で、私など似非ランナーは到底完走不可能(>_<)・・・・なんで、帰りは防長バスに乗って瀬戸内の海を見物しながら帰るのがよろしいかと?f^_^;
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おわり(^。^)>)
♪♪最近は、才気とオリジナリティ溢れる若手アーティストが多くて楽しみです(^_^)v
しかし歌詞も声も切ないですね・・・・かなり
★ 東京 - plenty ▽
東京
作詞/作曲 江沼 郁弥
作詞/作曲 江沼 郁弥
他の人が口にするほどヒドイ所でもなくて
自分自身で思ってたほど素晴らしい所でもなくて
自分自身で思ってたほど素晴らしい所でもなくて
大衆文化
作為があった
計算だった
イヤになった
矢印の方へ
従っておくか
イスとりゲーム
ボクは残れなそうだ
見えなくなった
言えなくなった
逃げたくなった
こわくなったかな
プラス思考
それが流行り
社会の役に立て
そんな言葉背負って
作為があった
計算だった
イヤになった
矢印の方へ
従っておくか
イスとりゲーム
ボクは残れなそうだ
見えなくなった
言えなくなった
逃げたくなった
こわくなったかな
プラス思考
それが流行り
社会の役に立て
そんな言葉背負って
とりとめのない言葉だけが身体の中うねりをつくってる
こんな毎日と戦ってる
辟易してただ線をなぞった
こんな毎日と戦ってる
辟易してただ線をなぞった
明日はなんかする事あった?
どうやらボクは一人になったようだ
埃臭いバスに揺られ 気付かれないように溜め息をついた
どうやらボクは一人になったようだ
埃臭いバスに揺られ 気付かれないように溜め息をついた
その手をはなしてよ
この道を引き返したいよ
こんなはずじゃなかったんだ
見えなくなった
言えなくなった
逃げたくなった
こわくなったかな
プラス思考
それが流行り
社会の役に立て
そんな言葉背負って
埃臭いバスに揺られ 気付かれないように溜め息をついた
この道を引き返したいよ
こんなはずじゃなかったんだ
見えなくなった
言えなくなった
逃げたくなった
こわくなったかな
プラス思考
それが流行り
社会の役に立て
そんな言葉背負って
埃臭いバスに揺られ 気付かれないように溜め息をついた
☆ よわむし - plenty ★
★ 明日から王様 - plenty △
△ボクのために歌う吟 - plenty★
おわり





