FAMILY もしも息子が出来たなら KOHEI JAPAN
昼休み(昼飯抜き(>_<))歴史散策 No8・・・くらぃ
昨秋、新南陽の工業地帯でお昼にブチ当り、さすがに、この辺りには史跡無いだろうな~っと思いつつ『山口県の歴史散歩』めくったところ・・・(^_^)vありました!
★毛利元就 「三矢の訓(おしえ)」発祥の寺★
(^_^)勝栄寺
陶氏二代弘政が正平10年(1355)頃建立したといわれ、寺の周囲は、幅7~9m高さ2.5mの土塁で囲まれ、発掘調査によれば幅6m深さ1.6mの濠が巡らされてた(=`_´=)ノ彡ストロング・スタイルのぉ寺です。(中世の豪族屋敷を寺院に転用したとも考えられる造りだそうです)
今も残る土塁です(およそ30m位残ってました)
開基した陶氏は大内氏の地頭として「富田保」を領し、ここ新南陽市に若山城を築いています。その後、権力は移り変り毛利元就が防長2国を平定するとき、ここに本陣を構え弘治三年(1557年)11月25日3人の子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に「三子教訓状」書いたそうです。
「三矢の訓(おしえ)」は、この三子教訓状がもとになって作られたそうです。



