ここに記している進化論に関連したことにたいして:私は進化論を信じている人を説き伏せたいと思っているのではありません。進化論に対抗したいのでもありません。私がそうであったように、世の人も同じように進化論を植え付けられている事と、進化論が当たり前のように世で認知されているため、進化論を対象として記しています。

◆これは今だからこそ感じる事として、私は進化論を信じていたと言うより、一つのエンターテイメントとして楽しんでいたという方が適していると思う。映画にしろ、生物の映像にしろ、どちらもその進化という視点で見て楽しんでいた。教育やメディアを介して「生物は進化によって出来た」と言われてきたものを、何の疑問も思わず受け入れてきただけと思う。私は進化論を信じていた訳ではなく、ただ受け入れて楽しんでいた。

◆進化論は仮定であり仮定論である。しかし世では仮定であることを前提とされていない。私は一度たりとも「皆さんこれは仮定であって、仮定論です」とはっきり公言しているのを聞いたことがない。何億年もかけて出来たと主張されている地層の年代のはかり方も、隕石の年代のはかり方も、誰かが主張した憶測のはかり方でしかない。憶測に憶測を重ね、憶測まみれの情報を真実であるかのように私たちは植え付けられ、聞かされている。進化論に何十億年という年月が必要になるのは、時間によって認識を曖昧にさせるためであろうと思う。

◆ノアの方舟は見つかっている。ソドムとゴモラがあったところは自然に出来ることのない純度の硫黄で未だに焼かれている。これは聖書に記されている明確な証拠だ、憶測ではなく、証拠である。世間の人が植え付けられた情報は、私も同じように植え付けられている。だからキリスト教と一神教を否定する人の気持ちは私にも分かる、私も同じだったからだ。それを事実として受け入れるかどうかはともかくとして、試しにでも見てみれば、今まで知らなかったことを楽しむことも出来るし、気付くこともあるはずだ。【ノアの方舟】
https://www.youtube.com/watch?v=LP0IXrv3FCE&t
【創世記】創世記 1:1
https://bible.com/ja/bible/1820/gen.1.1.口語訳

◆人がちゃんと見ようとして聞こうとすれば、神がこの世を造られたと証明するものは疑いようもないほど存在している。見ようとすれば聞こうとすれば必ず気付ける。私はパンダとか蝶のさなぎとか雪の結晶に関して思う所がある。パンダが進化によってあの綺麗な白黒になったという主張を私は受け入れられない。確か進化論は、突然変異でそういう配色になった個体がたまたま優れていたから、何度も交配してあの綺麗な白黒になったと言っていたはずだ。あんなに綺麗にはっきりと色が分かれている存在が、たまたま出来てたまたま引き合って、今のこの世にいて、私たちを楽しませているという奇跡を目の当たりにしている。蝶のさなぎは成虫になる前さなぎの中でぐちゃぐちゃの肉塊になり原型が完全になくなる。そこから羽が生えて美しい蝶に変わる。確か進化論では「そうなることを望んだ遺伝子がいたから」と言われていたはずだ。「ぐちゃぐちゃの肉塊になって原型をなくして羽生やして蝶になろうとした遺伝子がいた」そう聞いて違和感を感じないだろうか。ここに記したのはたった2つのことだが、こうしたことを進化と言うのなら進化論には一体そんな奇跡が幾つあるんだと言う話だ。それはもう偶発的に起こったことではなく、人が奇跡と思うようなことを行った存在がいると仮定してもおかしくないはずだ。恐らく進化論にはそれほどの数の「偶然、たまたま、奇跡」があるはずだ。

雪は私たちの目には白い塊でも、顕微鏡が出来たら私たちの目にも美しい結晶の塊であることが分かった。(地域によっては肉眼でも見える)。あの結晶の美しさは誰の目にも明らかな奇跡だ。雪の結晶は誰かにそう造られたとしか思えないほど精巧なものであり、あれほどに精巧なものが空に出来て降って来ていることを偶然と考えることの方が、不自然だと思う。私たちは精巧なものを自らの手で作る、同じように精巧なものは造られたものだ。

◆キリスト教イコール聖書、世の人はこう認識させられているため、聖書を宗教の書物だと思っているが実際は違う。聖書は宗教の書物ではない。私は聖書を読んだことによってそのことが分かった。聖書はキリスト教という宗教と関連付けられており、世界中の人間が宗教の書物だと思い込まされている。

◆人が聖書の言葉に嫌悪感を持つのは、強要強制され、押し付けられていると感じる要素があるからと思う。であるならば、同じようにそのあたりにある他の書物でもそう思わなくてはおかしい。強要強制や偉そうなことを言っている書物など、幾らでもあるのに、人は聖書に書かれている言葉にだけ強く反応するし、否定しようとしたり嘲ろうとする。これは奇妙なことだと思う。なぜ人は聖書に記されている言葉にだけ、過剰な反応をするのだろうか。むしろもっと偉そうなことを言っている書物や人物ほど、人はあっさりと受け入れ「凄い人だ」「これは賢い」などと言って評価している。聖書に書かれている言葉に反発するなら、世にある他の書物にも人物にもそうであって当然だ。しかしそうはならず、聖書にだけなぜか目くじらを立てて反発している。

◆世には真理に反するものが溢れている。聖書の一部を例にして記すと、(1コリント9:26)「空を打つような拳闘もしません」と書かれているから、空手がある。(1コリント10:29)「私の自由が、どうして他の人の良心によって裁かれるでしょうか」と書かれているから、道徳を押し付ける人がいる。(ヨブ記34:18)「人が王に向かって『よこしまな者』と言い、高貴な人に向かって『悪者』と言えるだろうか」と書かれているから、世では王をよこしまな者と言って叩き、高貴な人を悪者と言う。(1ペテロ4:15)「他人に干渉するものとして苦しみに合うことのないようにしなさい」と書かれているから、人を苦しみに合わせるため他人に干渉させようとする。聖書に記された言葉を照らし合わせると、偶然と思うことの方が難しいほどに、聖書に書かれている言葉の真逆のものが世には溢れている。聖書に書かれた言葉の真逆の行動を人にさせようとしている。

◆神を信じるかどうかはともかくとして、人は真理を悟らないより真理を悟った方が生きていくことにも、メリットがある。真理を悟ると、世の知恵や知識は延々と同じことを言い続けるだけだと分かる。それは何百年前や、何千年前の偉人と言われる人たちの言葉が、今現代でももてはやされているのを見ても、明白なことだ。いつまで経っても変わらないとそのことが証言している。しかし真理を悟ったものは、そうした言葉の価値を自然と理解する。その言葉に価値がないと言っているのではなく、それは世の知恵と知識であり、延々と同じことを言い続けるだけの知恵と知識でしかないと知るからだ。すべてのことを真理によって見定めることが出来るようになる。私がそうであったように、これはおのずと真理を悟ったあとに分かる時が来る。私は真理を知らなかったが、今は真理を悟ったことによってそのメリットを確信している。真理を悟った方が自分の人生が良くなる。

◆全ての知恵は神から来ており、進化論も神が人を悔い改めに導くため、用意されたものなのだろうと思う。この世にどのような論があろうと、真理を悟らなければ神を知れない。このことによっても、進化論がどうこうでないことは確かなことだ。進化論は嘘と表現するようなものでもない。進化論では説明のつかないことがある、と言うことから目を反らさなければ、神の存在に気付き真理に導かれる。進化論は他の多くの要素同様に、神を知るための手段、その一つと思う。

◆(ヨブ記37:18)「あなたは鋳た鏡のように堅い大空を、彼のように張ることができるか。」(箴言8:27)「彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。」空が張られていると言うことを聞かなければ、私は空のことを気にして見ることはなかった。この一節を読んでから、空から見る空の映像や、地上から見る空の映像を見ると、確かに空は張られているように見えることに気が付いた。

◆三位一体を知ろうとして、多くのところで議論されているが、その答えは見つかっていないだろう。それは私たちの理解を越えたことを、自力で理解しようとしているからに他ならない。理解出来ないことは神に聞いて理解すれば良い。そうすれば人と議論することすら無くなり、三位一体を語ることを止めるだろう。そもそも神が三位一体であったと知ってそれが一体なんだと言うのか、事実と知ったとしてそれが一体誰の益になるのか、信仰にはなんら関係のない話だ。

◆私はかつて別の場所でブログを書いているとき、「巨人、ネフィリムの骨が本当で、恐竜が嘘」と言ったようなことを書いていたが、巨人も恐竜も出土している骨は概ね本物であることが分かった。この世には恐竜もいたし、空を飛ぶ竜であるレビヤタンもいたし、巨人もいた。過去がそうであったように、これから出てくる宇宙人かっこ笑いも面白いことになるだろう。

既に地球外に出ている人間は山ほどいる。月には人がいるし、他の星にも既に人はいる。世界を支配していると言っているものたちが、それを隠しているため、時に合わせて隠されているものが明るみに出て、人の前に出てくるだけの話だ。この者たちは自分たちの意思で隠していると思っているが、神によって時に合わせて動かされることになる。この事も当然彼らは気付けるわけもないし、気付かない。

宇宙開発は今も進んでいるが、いずれは頓挫するためあってないようなもの。

罪の世は壊滅するが、世界は世の人間が考えているようには滅ばない。

宇宙開発も、遺伝子操作も、私たちは神から与えられた知恵で全ての技術が存在すると知っている。だからそれを知らない人間が、自分の力であるかのように誇っていることも知っている。何も分かっていないのだからそうなるのも当然だ。

遺伝子操作されて容姿をうさぎやオオカミやその他の動物に変えられ、自分を宇宙人だと思い込まされている人間が、地球にいる人間を観察してバカにしているCMや映像を幾つか見た。宇宙人としてこれからやってくる遺伝子操作され見た目を変えられた人間は、地球に来てから多くのものが真理を悟り悔い改めることになると、私は思う。

◆(ローマ10:13)「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」という言葉の通り、この言葉を読んでいる人が今信じることが出来なくとも、イエスキリストの名を呼び、助けを求めればあなたは救われる。これは覚えておいて損はない。