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1ヶ月の長い休みをもらっていたが、明日からまた仕事だ。憂鬱である。なぜかと言うと上手く授業ができないからだ。
私はある県で非常勤講師をしています。初めは生徒が笑顔でいてくれ、何もせずとも私に近寄ってくれていました。しかし、時間が経つにつれ彼らの授業態度が騒がしいものとなりました。ゲームをする生徒やイヤホンで音楽を聴く生徒、マンガを読む生徒が目立つようになったのです。なぜこのような事態になったのか?その理由は私の授業力の無さです。そもそも私は担当科目の成績が良くないにもかかわらずその科目を教えているのが1番の原因だと思います。選ぶとしたら最も得意な体育であるべきでした。
ではなぜ私はこのような失敗を犯したのか。それは私が人生の目的を主体的に考えなかった結果です。今までの私の人生を振り返ると、その場しのぎの行動をとり何か目的を決めてそれに向かって努力するということが極めて少なかったのです。そのような戦略性のない人生、自分の人生の意味に誠実に向き合わない人間には当然悪い結果が起こるのです。その結果、行きたくもない学部に入り、なりたくもない教科の教員免許を取り、向いてもいない講師になったのです。
10月2日現在の私は死にたいとしか思っていません。技術がないのなら他の教員や専門学校に行けばいいと思う人がいるかもしれません。しかし、私は行けないのです。プライドが邪魔をしているのです。人にものを聞く時は自分がどう思っているのか。また、自分はどのような意図を持って行動し失敗したのかを説明する必要があります。しかし、私にはそれを語るものがないのです。私はただ漠然とその場しのぎの授業をしているだけなのです。知識をそのまま生徒に注入し、生徒がダレてきたら単元と関係のない話で生徒を盛り上げる。技術がないから教育の本質から外れた方法をつかうのです。教師失格です。
これから先の選択肢としては2つあります。1つ目は、このまま教師を続けることです。専門学校に通い確実な技術を身につけることです。しかし、この道には問題があります。それはこの道でどれだけ努力をしても結果が得られない可能性があること。つまり、適正距離ではないにも関わらずレースに出走し続けるということ。それでは一生陽の目を見ることはないでしょう。ロードカナロアが天皇賞春に出ても結果は残せないのです。今の私にはこの仕事が適正距離だとおもえません。
2つ目は講師を辞めて再び体育教師の免許を取ることです。このためには再び大学に入り直さなくてはなりません。私の年齢を考えれば断固たる決意が必要です。しかも、相手は国体に出るようなスポーツに秀でた猛者が待ち受けています。対して私には大した実績はありません。ありませんが自信だけはあります。小学校から大学まで体育で人に負けたことはないからです。幼いことから教師に褒められることはスポーツのことについてでした。思えば私がこのような考えに至るのは、追い込まれた人間はセキュアゾーンに逃げ込むものだからでしょう。セキュアゾーンとはその人にとって最も安心できるゾーンのことです。私にとってのセキュアゾーンとは体育教師のことなのでしょう。しかし、この道は失敗は許されません。失敗すれば人生も自分自身のプライドもズタズタにされるでしょう。まさに死、いや死よりも悲惨なものとなるでしょう。
要するに、私の将来というのは絶望しかないのです。果たして私の人生はこれからどうなるのでしょうか。今はまだ結論は出せません。これから時間がある時にゆっくり納得のいく答えを出そうと思います。
私はある県で非常勤講師をしています。初めは生徒が笑顔でいてくれ、何もせずとも私に近寄ってくれていました。しかし、時間が経つにつれ彼らの授業態度が騒がしいものとなりました。ゲームをする生徒やイヤホンで音楽を聴く生徒、マンガを読む生徒が目立つようになったのです。なぜこのような事態になったのか?その理由は私の授業力の無さです。そもそも私は担当科目の成績が良くないにもかかわらずその科目を教えているのが1番の原因だと思います。選ぶとしたら最も得意な体育であるべきでした。
ではなぜ私はこのような失敗を犯したのか。それは私が人生の目的を主体的に考えなかった結果です。今までの私の人生を振り返ると、その場しのぎの行動をとり何か目的を決めてそれに向かって努力するということが極めて少なかったのです。そのような戦略性のない人生、自分の人生の意味に誠実に向き合わない人間には当然悪い結果が起こるのです。その結果、行きたくもない学部に入り、なりたくもない教科の教員免許を取り、向いてもいない講師になったのです。
10月2日現在の私は死にたいとしか思っていません。技術がないのなら他の教員や専門学校に行けばいいと思う人がいるかもしれません。しかし、私は行けないのです。プライドが邪魔をしているのです。人にものを聞く時は自分がどう思っているのか。また、自分はどのような意図を持って行動し失敗したのかを説明する必要があります。しかし、私にはそれを語るものがないのです。私はただ漠然とその場しのぎの授業をしているだけなのです。知識をそのまま生徒に注入し、生徒がダレてきたら単元と関係のない話で生徒を盛り上げる。技術がないから教育の本質から外れた方法をつかうのです。教師失格です。
これから先の選択肢としては2つあります。1つ目は、このまま教師を続けることです。専門学校に通い確実な技術を身につけることです。しかし、この道には問題があります。それはこの道でどれだけ努力をしても結果が得られない可能性があること。つまり、適正距離ではないにも関わらずレースに出走し続けるということ。それでは一生陽の目を見ることはないでしょう。ロードカナロアが天皇賞春に出ても結果は残せないのです。今の私にはこの仕事が適正距離だとおもえません。
2つ目は講師を辞めて再び体育教師の免許を取ることです。このためには再び大学に入り直さなくてはなりません。私の年齢を考えれば断固たる決意が必要です。しかも、相手は国体に出るようなスポーツに秀でた猛者が待ち受けています。対して私には大した実績はありません。ありませんが自信だけはあります。小学校から大学まで体育で人に負けたことはないからです。幼いことから教師に褒められることはスポーツのことについてでした。思えば私がこのような考えに至るのは、追い込まれた人間はセキュアゾーンに逃げ込むものだからでしょう。セキュアゾーンとはその人にとって最も安心できるゾーンのことです。私にとってのセキュアゾーンとは体育教師のことなのでしょう。しかし、この道は失敗は許されません。失敗すれば人生も自分自身のプライドもズタズタにされるでしょう。まさに死、いや死よりも悲惨なものとなるでしょう。
要するに、私の将来というのは絶望しかないのです。果たして私の人生はこれからどうなるのでしょうか。今はまだ結論は出せません。これから時間がある時にゆっくり納得のいく答えを出そうと思います。
今日、母親と夕食を食べに某ファミレスに行ったときの話。今までこのように母と2人で食事に行ったときは、大抵私が愛想ない返事をして会話が少なくひたすらご飯を食べるだけなのだが、私の教員採用試験が近いこともあり、面接対策と親孝行も兼ねて最近の私の教員生活を約10年ぶりくらいに母親に報告してみたのである。私の弱点は自分の体験を人にわかりやすく伝えることが下手なことで、思えば、幼稚園や小学生の頃は学校から帰って来たら決まって今日あった出来事を母親に誇らしげに報告して褒められたり怒られたりしたように思う。しかし、思春期に入った頃に、母親に学校であった出来事を報告するのは恥ずかしいことだと思うようになりそれから現在までしてこなかったので、私はいつしか自分の経験を伝える力を著しく失ったように思う。幼稚園の時にできていた当たり前のことが、大人になったいまできないというのは不思議なことのように思えてならない。その原因は、『自意識』にあるのではないかとと考えている。思春期になると自我が芽生え人からの目を気にするあまり、自分のことを純粋な気持ちで語れなくなってしまう。それが緊張感をうみ、どこかぎこちない会話になってしまうのだろう。これからは、母親に今日の出来事を伝える習慣を増やし、素直な気持ちで自分を語れる人間にになろうと思う。
話が脱線してしまったが、母親に最近の学校生活の話をしたら、母親もいつもと違う私よ態度に気づいたのか、転勤生活で一緒になった銀行のママ友の話を始め、いつもはしない愚痴を言ったりするなどいままでの日常とは変わった時間を過ごしていた。すると、突然母親が「うちのおばあちゃんは再婚後の相手で、実は私とは血が繋がっていない」ということを、私に伝えたのである。要するに、私と祖母の血は繋がっていないということである。今日私と夕食を食べる前に、母親は血の繋がった実の母に会って来たのだという。実の母親は、3人の娘を産んだ後家族を捨て別の男の人と別の地で暮らす決意をしたのだそうだ。当然、3人の娘を残された私の祖父は困ったであろうし、当時10代で多感な時期だった2人のおばさんもひどく傷ついただろう。そのとき、私の母親は2歳くらいで物心ついていない赤ん坊だったので記憶にはないらしい。だから、祖父とおばさんは実の祖母との面会を拒んでいるのに対して、母親は会おうと思ったのだろう。話を聞くと、実の祖母は脳梗塞で余命1ヶ月であるそうだ。話もできない状態で病院で寝たきりらしい。彼女は娘を3人を捨てたことを後悔しており、再婚もせずに会計の仕事をしてお金を貯め、株や投資でお金を増やし、将来は娘のためにたくさんの遺産を残そうと一生懸命生きたそうだ。再婚もせずに女1人で生きる人生というのは相当覚悟のいる選択であったと思うし、自業自得とはいえ彼女の生き方には私の心を揺さぶる力強さを持っていた。正直、私はその話を聞いたとき、実の祖母が最低の人間だとは思わなかったし、かといって会いたいとも思わなかった。今までおばあちゃんと呼んできた人が、実は自分と血の繋がりがない人であるという衝撃の方が大きかったのだろう。うちの祖母と母親は顔が似ているし、私の性格と祖母の性格も何処と無く似ている気がしていたので、まさか血が繋がっていないとは夢にも思わなかった。ショックはショックなのだが、この事実を知ったからといって、私の祖母への愛着や態度は変わらないであろうし、変えてはいけない。恐らく祖母は血の繋がらない3人の娘を育てることは私の想像できない苦労があったであろう。そのような過去があるにもかかわらず、孫の私に対していつも変わらぬ笑顔で私に接してくれる祖母には頭が下がる。祖母には血の繋がりがある実の子供がいない。当然、その理由には3人の娘に対する配慮もあったはずだ。祖母が抱えたであろう葛藤や悩みは計り知れないものがあり、それを乗り越えた上で私を実の孫のように優しく接してくれる祖母には感謝の気持ちしかない。ある日突然それまでいた祖母がいなくなって他人が新たな祖母となるのと、それまで祖母と思っていた人が実は血の繋がらない人だったのでは捉え方が違ってくると思う。私には生まれた時からおばあちゃんはおばあちゃんだけだ。母親がそうしたように、私も祖母に対して素直な気持ちで応えようと思う。
話が脱線してしまったが、母親に最近の学校生活の話をしたら、母親もいつもと違う私よ態度に気づいたのか、転勤生活で一緒になった銀行のママ友の話を始め、いつもはしない愚痴を言ったりするなどいままでの日常とは変わった時間を過ごしていた。すると、突然母親が「うちのおばあちゃんは再婚後の相手で、実は私とは血が繋がっていない」ということを、私に伝えたのである。要するに、私と祖母の血は繋がっていないということである。今日私と夕食を食べる前に、母親は血の繋がった実の母に会って来たのだという。実の母親は、3人の娘を産んだ後家族を捨て別の男の人と別の地で暮らす決意をしたのだそうだ。当然、3人の娘を残された私の祖父は困ったであろうし、当時10代で多感な時期だった2人のおばさんもひどく傷ついただろう。そのとき、私の母親は2歳くらいで物心ついていない赤ん坊だったので記憶にはないらしい。だから、祖父とおばさんは実の祖母との面会を拒んでいるのに対して、母親は会おうと思ったのだろう。話を聞くと、実の祖母は脳梗塞で余命1ヶ月であるそうだ。話もできない状態で病院で寝たきりらしい。彼女は娘を3人を捨てたことを後悔しており、再婚もせずに会計の仕事をしてお金を貯め、株や投資でお金を増やし、将来は娘のためにたくさんの遺産を残そうと一生懸命生きたそうだ。再婚もせずに女1人で生きる人生というのは相当覚悟のいる選択であったと思うし、自業自得とはいえ彼女の生き方には私の心を揺さぶる力強さを持っていた。正直、私はその話を聞いたとき、実の祖母が最低の人間だとは思わなかったし、かといって会いたいとも思わなかった。今までおばあちゃんと呼んできた人が、実は自分と血の繋がりがない人であるという衝撃の方が大きかったのだろう。うちの祖母と母親は顔が似ているし、私の性格と祖母の性格も何処と無く似ている気がしていたので、まさか血が繋がっていないとは夢にも思わなかった。ショックはショックなのだが、この事実を知ったからといって、私の祖母への愛着や態度は変わらないであろうし、変えてはいけない。恐らく祖母は血の繋がらない3人の娘を育てることは私の想像できない苦労があったであろう。そのような過去があるにもかかわらず、孫の私に対していつも変わらぬ笑顔で私に接してくれる祖母には頭が下がる。祖母には血の繋がりがある実の子供がいない。当然、その理由には3人の娘に対する配慮もあったはずだ。祖母が抱えたであろう葛藤や悩みは計り知れないものがあり、それを乗り越えた上で私を実の孫のように優しく接してくれる祖母には感謝の気持ちしかない。ある日突然それまでいた祖母がいなくなって他人が新たな祖母となるのと、それまで祖母と思っていた人が実は血の繋がらない人だったのでは捉え方が違ってくると思う。私には生まれた時からおばあちゃんはおばあちゃんだけだ。母親がそうしたように、私も祖母に対して素直な気持ちで応えようと思う。