ここ数日でぐっと寒くなって、季節が一気に進んだように感じます。

雑貨屋さんでクリスマスツリーが売られているのを見かけて、冬が近づいてきた気分になりました。

 

毎年秋口くらいに、翌年の手帳をどうするか考えます。

ここ数年使っていたのは、ノルティUのウィークリー。

 

とても気に入っていたのですが、今まで使っていた色のカバーが来年は展開されないことを知ったのをきっかけに、手帳や時間の使い方を見直してみようかと思い始め、別の手帳にすることに。

 

来年は久しぶりに藤沢優月さんの『夢をかなえる人の手帳』を使うことにしました。

ノルティUウィークリーは週間レフト式でしたが、もう少し時間の使い方に意識的になろうと思いバーチカル式に。

 

藤沢優月さんの『夢をかなえる人の手帳』を使うのは約七年ぶり(以前は八年ほど使っていました)。

『夢をかなえる人の手帳』は二十周年になるそうです。

 

書店や文房具屋さんでは、毎年のように、新しい魅力的なコンセプトやデザインの手帳が販売されているのを見かけます。

この七年の間、私もノルティU以外にも何種類かの手帳を使いましたが、その中には今では製作が終了してしまった手帳もあります。

「続ける(続けられる)」ことのすごさ、変化の激しい中で、そこにあり続けてくれることのありがたさを感じました。

 

来年の手帳をどうしようかと考えている時、十年ほど前の手帳を取り出してぱらぱらと見ていて、十年前の自分に会いに行ったような気分になりました。

手帳にはその時の自分が残るのかもしれません。

 

『夢をかなえる人の手帳』は毎年十一月始まり。

少し早めですが、あと十日で切り替えの時期。

次の手帳にもいい時間の記録を残せるような過ごし方をしたいと思いつつ、また一歩、来年の足音が近づいてくる気がしています。

 

先日、ちひろ美術館(東京)に行きました。

 

 

絵本画家いわさきちひろの自宅跡に建てられた美術館。

閑静な住宅街にある、こぢんまりとした、アットホームな雰囲気の美術館です。

 

おそらく誰もが目にしたことのある、優しさにあふれた、いわさきちひろさんの水彩画。

世界で最初の絵本美術館だそうで、他の絵本作家の作品が企画展示されていることもあります。

どの展示も近くでじっくりと味わえる、ゆったりとした空間でした。

 

一本一本の線や紙の質感、絵の具のにじみまでゆっくりと眺めていると、贅沢な気分になります。

 

そして、幼い頃に何気なく触れていた絵本の一つ一つが、どれだけ丁寧な仕事によって、どれだけの思いを込めて生み出されているかを感じました。

 

生み出された仕事には、その人そのものが表れるのでしょう。

一枚一枚の絵を丹念に眺め、じっくりと作品に触れることで、作家の人生の一端に触れているような、生きる姿勢を垣間見ているような感覚も覚えました。

 

大きな窓から見える緑にも癒され、すてきなお家を訪問したような気分にもなる美術館。

あたたかな空気が流れる美術館で、豊かな時間を過ごすことができました。

 

9月も下旬に入って、天気のよい日には「天高く馬肥ゆる」という言葉が浮かぶようになりました。

 

日中は湿度が高く暑さを感じる日もありますが、爽やかな季節の到来ですね。

 

秋は、過ごしやすい気温だからでしょうか、五感が開放される季節、と言えるような気がします。

 

吹く風も

虫の音も

金木犀の香りも

爽やかな空気の中では、より心地よく感じられるもの。

 

外の空気を味わいたくなる、空を見上げたくなる季節なのかもしれません。

 

今日は旧暦の十五夜でもあります。

 

数日前に窓から見えた、満月に近づく月と近くの明るい星がとてもきれいでした。

 

秋の空は、どんな場所にいても、日常に閉塞感やストレスを感じていても、頭上には広い広い世界が広がっていることを思い出させてくれるようです。

 

もうすぐ秋分でもありますね。

夏至と冬至のちょうど中間地点。

新年度から約半年、冬至まであと三か月。

満月は振り返りにいい時と聞いたことがありますが、この半年の道のりやできたことできなかったことを振り返りつつ、冬至までの過ごし方にも少し思いを馳せたいなと思います。

 

 

ここ何年か、コーヒー豆を焙煎して販売する専門店をよく見かけるようになった気がします。

 

私も、今の場所に住み始めてから、近所のコーヒー豆のお店で豆を買って、ミルで挽いてコーヒーを淹れるという習慣ができました。

 

沿線などにいくつか支店があるコーヒー豆の専門店。

近所のお店はその支店の一つですが、大抵は店長である若いお姉さんが一人で回しています。

週一回の定休日以外はほぼ毎日お店にいて、きびきびと動き、はきはきと話し、豆についての質問などに的確にアドバイスをくれて、感じのよいお姉さん。

テイクアウトで久しぶりにカフェラテを頼んだとき、以前よくお願いしていたカスタマイズを(私自身が忘れていたのに)覚えてくれていたことに驚きました。

 

店内のイートインコーナーでコーヒーを飲んでいたお客さんがお姉さんに

「いつもいるよね、休みがなくて大変だねぇ」

と話しかけているのを耳にしたことがあります。

 

それに対してお姉さんは

「好きな仕事なので、大丈夫です」

と、さらっと答えていました。

 

仕事が好き、と即答できる姿勢が素敵だなぁと感じました。

 

そのお店では、新型ウィルスの流行で在宅勤務をする人が増えたからか、以前よりもコーヒー豆の注文が多くなり忙しくなったそう。

 

豆の産地、精製や焙煎方法にもこだわったコーヒー豆。

遠い国からはるばる運ばれた豆が、コーヒーを愛する人たちによる仕事を経て手元に来たことを思うと、家の中でのお茶の時間もより豊かに広がっていく気がします。

 

起こった変化について、きっかけと原因とは違うものなのかもしれない、と最近思います。

 

きっかけは目に見えても、原因は目に見えないことがある。

 

コップに水が溜まり続けて、最後の一滴で溢れ出た時、外からは溢れる直前に落ちた一滴しか見えないことがあります。

 

不満を内に溜め続けて、最後の些細な一押しで感情を爆発させてしまった人を、事情を知らない人が見たら、何て小さなことで烈火のごとく怒る人なのだろうという印象を持ったりします。

でも、外から見える最後のことは、最後の一押しだったかもしれません。

 

たまたまラッキーで運よく何かを手に入れたように見える人も、外からは見えていない部分の行動や積み重ねによって、運がいいと思われることを自分の力で引き寄せていることもあります。

 

変化を起こしたり結果を得られたりする直接のきっかけは目に見えるけれど、本当の原因は目に見えないこともある。

 

余裕がない時はつい単純化してしまうもの。

あれをしたせいで、あんなことをされたせいで、あの人のせいで、と。

 

でもそれはきっかけではあるけれど、原因ではないのかもしれない。

もしそれがきっかけなだけで、原因がもっと別にあるとしたら、原因は何だろう。

そう考える視点、目に見えない部分があるかもしれないという視点を持っていたいなと思います。