『頑張れ!』 人を応援したり、元気づけたりする時に、
よく使う言葉ですよね。
しかし、頑張れと言われた側は、
逆にあまりいい思いをしない場合って、ありませんか?
そもそも、「頑張れ」は、明治時代の終わりから
大正時代の始め頃から使われはじめました。
明治政府の「富国強兵」政策で強い軍隊を作るために、
“忍耐強く努力する”児童へと教育するために出来た言葉だとも考えられます。
語源を見てみますと、
1.「眼張る」(眼をつける、見張る)
2.「我を張る」に由来する、など諸説あるようです。
昭和11年のベルリン五輪競泳、「前畑頑張れ!」の
前畑さんは、日本中の「頑張れ」を背負っていたのでしょう。
昭和46年の流行語は「がんばらなくっちゃ」でした。
高度成長期、人々はモーレツに働き、頑張り、
経済も右肩上がり。
まさに時代の象徴といえる言葉でした。
相手との関係や、その時の気分によって、
言われた側のとらえかたが変わってしまう言葉かもしれません。
使い方が案外難しい言葉ですよね。
「がんばれよ!」
「頑張ってねー」
「頑張らなきゃ」
「あたし、頑張るから。」
「君には頑張ってもらわないとな」
「おまえが頑張らなくってどうする!」
「あなたがもうちょっと頑張っていれば
こんな事にならなかったのにねぇ」
普段何気なく使われる「頑張れ」。
あなたは「頑張れ」という言葉にどんな印象を持ちますか?
相手や自分に対して、やる気を起こさせ、
きっかけを与える、励ましの言葉。
ああ、なんと美しいことでしょう、これだけで済むのなら。
しかし「頑張れ」という言葉には、ウラがあります。
プレッシャー、抑圧、拘束、強迫、誇示…。
こころの弱い人間を苦しめようと思うなら、
この程度の表現でも十分ダメージを与えることが
可能ではないかと私は思うのです。
目に見えないトゲを背後からチクチク刺されるような
「頑張れ」という言葉、そしてその言葉の主のために
自分のこころをすり減らしてきた私。
物心ついたころから「頑張れ」という言葉で私は強迫され、
その実現を要求されてきたのでした。
そして私はその見えないトゲの正体に気づくのに途方もない
年月を要してしまったのです。
実はそれほど気にする必要なんてなくって、
言う方は何となく言いやすい励ましの言葉として惰性的に
使っているだけなんだって、気づいたら馬鹿らしくなっちゃって。
こころのしっかりした人なら、これほど簡単で当たり障りの
なさそうなな言葉で人の心を追いつめることが出来るなんて、
「そんな馬鹿な!」と思われる方も多いでしょうね。
でも受け止める人のこころは十人十色。
見えないトゲに怯える人が、世の中には少なからずいるんです。
だから私は「頑張れ」という言葉が、好きな言葉でなくなりました。
他人から言われることに対しては、私自身ようやく適切に
解釈することが出来るようになりましたが、
自分から言うのはなるべく避けるようにしています。
そして「頑張れ」という代わりの言葉として、
「出来る限りのことをしよう」と言う言葉を使うようにしています。
出来る限りのことをすればいいんだから、
無理はしなくてもいいんです。
もしあなたが誰かからの「頑張れ」という言葉に
苦痛を感じているのなら、それを
「出来る限りのことをしてくれ」と
翻訳してみてはどうでしょう。
ちょっとは気が楽になりませんか?
誰だって出来ることには限界があります。
しかもその差もみんなまちまちなんだから、
無理して背伸びする必要はないんです。
出来ないものを求める事が無茶であって、
そんなことを求める人が間違っているんです。
ありのままの自分で、背伸びをしないで、
出来る限りの事をしましょう
出来る限りのことをしても出来なかったのなら、
それはどうしようもないんです。
あなたは前向きに最善を尽くしたんでしょ、
それならあなたに罪はないのです。
大事なのは、限界以上どうあがいても
出来ないと気づいたら、
出来る限り早く、きっぱりと「出来ない」って
宣言して助けを求めればいいってこと。
それは甘えじゃないし、間違いじゃないし、
犯罪でもないし、恥ずかしいことでもないし、
軽蔑されることでもないし、逃げることでもないし、
カッコ悪いことでもないんです。
宣言するのが早ければ早いほど、打開策は見つけやすいのです。
人は助け合って生きるもの、それが当たり前なんです。
何事も最初からあきらめちゃいけないけど、
周囲に多大な負担・迷惑をかけずに楽が出来るのなら、
そんな楽はいくらしても構わないはずですよ。
お願いだから、お願いだから、
自分一人で全てを抱え込まないで!
きっと誰かがあなたの力になるはずなんだから。
さあ、あなたも、私も、「出来る限り」で生きていきましょう。
それでいいんじゃないですか?