礼拝讃美(11/14日)の中で、最後に全体で『偉大な神』と言う歌を讃美していきました
歌い出しが「全てあなたは許し~」と始まっていきます
私はそこで、涙が出そうになりました。
今の自分の歩みが、余りにも申し訳なく神様の子女として相応しくないと、心が思ってしまっている。そんな状態でした
それでも、そんな自分でも神様は、この歌詞のように
許してくれて、今も隣にいて下さる のです。
だから私は負けずに『み言を持って』
歩んで行きたいと、思いました。
替え歌を創ったとき、この歌詞のような実感はなく、ただ神様はそのような方である。
そうだと聞いているから、そうなんだろうなって…
実践はなかなか出来ていないけど、み言を持って歩むべきだと分かっているから、このような詞が出来た気がします。
誰かに向けた言葉だから、自分にも当てはまるとなかなか思いにくいのかも知れません。
私には実践が必要だと充分分かっているつもり…
どうすべきなのか、よく考える行為すら欠如しているのだろう。
ある意味クセでしょうか?
自分の思いを否定して、神様中心の考えへ転換が必要なのでしょう。
自分は今どうすべきか悟ることが出来るように、ただただ願うばかりです
きっと自分事ではなく、「他人事」と思っていたんですね!
ねぇ神様…。
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