2018年9月4日のメッセージ
聖書:コヘレトへの言葉 5.12-17

太陽の下に、大きな不幸があるのを見た。
富の管理が悪くて持ち主が損をしている。
下手に使ってその富を失い
息子が生まれても、彼の手には何もない。
人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。
来た時の姿で、行くのだ。

労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない。
これまた、大いに不幸なことだ。

来た時と同じように、行かざるをえない。
風を追って労苦して、何になろうか。

その一生の間、食べることさえ闇の中。

悩み、患い、怒りはつきない。

見よ、わたしの見たことはこうだ。
神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ。神からの富や財宝をいただいた人は皆、それを享受し、自らの分をわきまえ、その労苦の結果を楽しむように定められている。これは神の賜物なのだ。彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。神がその心に喜びを与えられるのだから。

 

現代社会は「ストレス社会」と言われています。

人は自分の仕事に不満を持ち、同僚の愚痴をいい、「何故、もっといい暮らしが出来ないのか」という不平を抱きます。

 

しかし、ここで述べられているように、私達は「何も持たずに生まれてきた」のだから、天に召される時にも「何も持たずに帰って行く」のです。
すなわち、私達は「何も持たずに生まれてきた」にも関わらず、こうしてパソコンに文章を打ち込んだり、仕事をしたり、ご飯を食べたり、そうした当たり前のことが出来ることそのものが、実は神様からのギフトなんだよ、ということをここでは述べているのだろうと私には感じられました。

 

人は、「ああなりたい」「こうであってほしい」と願うことで、そこに葛藤が生じます。

その葛藤により、苦しみが生じます。

でも、「今、こうして与えられているもの『すべて』が神様からのギフトである」ことを受け入れて感謝をこめて生きていくだけで、自ずと見えてくる世界は変わっていくのかもしれませんね。

 

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