@東京文化会館
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・I.チャイコフスキー
編曲:クルト=ハインツ・シュトルツェ
装置・衣裳:ユルゲン・ローゼ
世界初演:1965年4月13日、シュツットガルト
改訂版初演:1967年10月27日、シュツットガルト

カテコ写真:NBSのツイッターより
〈涙を流し、迫真の演技で踊り終えたフリーデマンの感情が伝播し、カテコでは優しく包容し、髪をなでるアマトリアン姉さん〉(写真タイトルはOLIVEによる)
オネーギンOnegin:フリーデマン・フォーゲル
レンスキーLenski/オネーギンの友人:コンスタンティン・アレン
ラーリナ夫人/未亡人:メリンダ・ウィサム
タチヤーナTatjana /ラーリナ夫人の娘:アリシア・アマトリアン
オリガOlga /ラーリナ夫人の娘(=タチヤーナの妹):エリサ・バデネス
彼女たちの乳母:ダニエラ・ランゼッティ
グレーミン公爵/ラーリナ家の友人:ロバート・ロビンソン
近所の人々、ラーリナ夫人の親戚たち/ サンクトペテルブルクのグレーミン公爵の客人たち:女性12人、男性12人の団員による
指揮:ジェームズ・タグル
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
客入り:ほぼ満席 全体でところどころまだらに空席がありましたが、大入 でした。
オネーギン全幕、はじめて見ました

パリオペのオネーギンも全部通して観たことがなく、ストーリーも淡く知るだけの状態でしたので、ウキウキ

ドラマティック・バレエの最高峰の一つ

とっても演劇的でした。
バレエなので当たり前ですがセリフはないのにストーリーが伝わる。むしろ、バレエには言葉がない為に余計に感情がダイレクトに伝わる。本当に不思議です。生まれも育ちも文化も違うのに、音楽と動きによりすべての感情が伝播してくる。バレエってすごい

心理や感情のうねりを表現するバレエとしては、私個人は、ノイマイヤーの椿姫(La Dame aux camelias:John Neumeier))のほうが好きです。実は、今回オネーギンを鑑賞して、ギョッ


さて、場面ごとの感想を書きます。
どんなバレエだったかについて、書きたかったのですが、今回の感想は、ただ物語の説明をしているだけのような感じになってしまいました。でも、文で記述いしているような細かな感情がバレエを通して伝わってきて、とてもリアルでした

【1幕】
●第1場 ラーリナ夫人邸の庭
ロシアの田舎の とある家庭。ステージ中央前方に配置された円形ガーデンテーブルを囲むのは、ラーリナ夫人とその娘のオリガ、そして乳母。オリガの姉タチヤーナは、庭で読書をしています。そこに、オルガとオルガの恋人のレンスキーが、客人オネーギンをつれてきます。タチヤーナは、友人らに促されて、鏡で将来の結婚相手を占います。するとオネーギンが鏡を覗き込みます。ビックリ


フォーゲル演じるオネーギンとアマトリアン演じるタチヤーナが踊るのですが、バデネス演じるオリガが可愛くて



第一場では、群舞に見せ場がありました。チャイコフスキーの軽快な音色に乗せて、田舎のお友達達が踊ります。男女別に円陣を描いたり、ペアになったり、いろいろなフォーメーションを見せます。これがきっちりと踊られていて、テンションあがりました

段々と、踊りのテンションは上がって、エチュードみたいに、ペアのグランジュッテ軍団が舞台を斜めに横切るシーンは見事で、拍手が巻き起こりました



●第2場 タチヤーナの寝室
オネーギンへの憧れを募らせたタチヤーナは、夜、オネーギンへの愛をつづる手紙をしたためて、眠ります。すると、日中占いをした鏡の中からオネーギンが現れ、タチヤーナと踊ります。これは夢の中です。ところが、私、当初、夢だとわからななくて、いきなりオネーギンが夜這い?って思いながら鑑賞すること数分。どうも話がおかしいな~と自問し、あらすじの記憶を辿り、タチヤーナの内面世界だとわかり、ホッとしました。ストーリー取り違えるところでした。
見せ場の、〈鏡のパ・ド・ドゥ〉では、タチヤーナの初々しい恋心と、タチヤーナの空想通りの内面を持って、官女を潤すように接してくれる想像上のオネーギンとの まばゆいばかりの恋のパ・ドゥ・ドゥ

夢から覚めたタチヤーナは、愛の手紙をオネーギンに届けてほしいと乳母に手渡します。
アマトリアンは、少女の恋心を、少女らしく、初々しく、しかも将来美しい女性に成長することさえも予想させるような何とも繊細なバレエで表現してくれました。タチヤーナの夢に出てきたオネーギンは、優しく、タチヤーナを包みこむような笑顔と態度で、甘く、本当に素敵な王子様。ロミオを踊るフォーゲルと同じ味でした。でも、オネーギンフォーゲルは、都会的で洗練された雰囲気で、ニヒルな感じがロミオよりもさらに素敵~


作品についてなのですが、お庭に籐のテーブルや椅子が置いている時点で、椿姫の田舎の家の場面と似ているし、レンスキーって椿姫のガストンとちょっと違うけれど立ち位置が重なる。ノイマイヤーって、クランコの弟子なんだなぁ~ってつくづく理解しました。
私がバレエ鑑賞をはじめた当初は、「誰が振付けたとか、誰が誰のために考え作品だとか言う解説は全く無味乾燥で、目の前で展開されるバレエの舞だけを単純に鑑賞すれば良いだけなのに、なんで皆で振付家がどうこうって評論したりして、つまらないことにうるさいなぁ~」と思っていたのですが、ここ最近は、バレエ鑑賞の際には、このあたりをざっくり押さえないと気が済まないようになってきました。必ず知った上で見なければいけないことは全くないし、逆に細かいことは知らないほうが純粋な目で踊りを観られるとも思うのですが、作品の奥に潜むものを捉えたかったら、知ったほうが断然面白く鑑賞できると思い始めました。美しい川をみて、流れを愛でるだけが良いか、川底を覗きたいか否かといっただけの問題ですけれど。
【2幕】
●第1場 タチヤーナの誕生日
タチヤーナの誕生会(舞踏会)には、田舎の貴族達が集っている。舞踏会には、色々な
招待客が招かれており、1幕に続き2回目の群舞の見せ場です。しかし、滑稽なのは、招待客に老人が多いのです






メインで踊っているダンサー以外にも、同じステージでいろいろなことが起こり、鑑賞スポットが多いという点は、リピ鑑賞をそそられます。でも、滑稽すぎて、ツボってしまうと大変です



(この手のヘンテコ演出の投入がなされているクランコ作品はどんなものがあるか、マニアックな点検をしたいな…と思いました)
さて、都会できらびやかに過ごしてきたオネーギンの目から見ると、タチヤーナなどはただの恋愛小説を読みすぎた田舎少女。オネーギンは、タチヤーナには全く関心はなく、隅っこで、舞踏会でも退屈そうにそっぽを向いて過ごしています。すでに、タチヤーナからはラブレターを受け取っていたが、その手紙にさえも、田舎娘の告白などには付き合っていられないといった馬鹿馬鹿しく受け止め、苛立ちさえも感じている。ここでのフォーゲル、もう顔からしてふてぶてしくて嫌な感じ。周囲を見下したような眼。気づかいを感じさせないふてぶてしさ。舞踏会に集まる客に対して退屈極まりないからトランプなんかしちゃうような露骨な態度。それなのに




オネーギンはタチヤーナに「君を愛することはない」と伝える。それでも・・・というタチヤーナのことを、面倒そうにあしらう。最後には、何かの仕打ちのように、タチヤーナからの手紙を破いて見せ、破いた手紙を、ショックを隠せないタチヤーナの手に押しつけるように握らせる


このシーンのフォーゲルの冷淡さがまた、カッコよかった








タチヤーナに恋する紳士的で優しいグレーミン公爵(ロバート・ロビンソン)が現れる。ラーリナ夫人は、この二人の縁談に期待。でも、ブロークンハートのタチヤーナはグレーミン公爵の優しい愛の眼差しに気付かない。ロバート・ロビンソンは、高貴で、揺るがない、安定の男を好演。さほどキャラの立つ役ではないのですが、この路線の男性って一定の不動票がありますから、「グレーミン(ロバート)



さて、オネーギンは、オルガと軽い気持ちでいちゃついて過ごしています。
ここで、「ちょっと待ったぁ~



この様子を見て、真面目なレンスキーの怒りは爆発



レンスキーの感想、ここで書かなければいけませんね。コンスタンティン・アレンの演じるレンスキーは、かなりの反則技(



●第2場 決闘の場
友人オネーギンと婚約者オリガの裏切りによって、心が砕け散ったレンスキーの怒りは収まらず、オネーギンに決闘を申し込みます。タチヤーナとオリガは、レンスキーをなだめますが、全く怒りはおさまらず、オネーギンもこれにのり決闘に至ります。このあたりの早めのテンポでの演技(バレエ)、行き届いていていました。
テンポよく、あれこれ揉めて、オネーギンは友人レンスキーを打ち殺してしまいます

これが結構あっさりと打ち殺してしまったので、私的には「あれ


クランコは、人が死ぬシーンで、死を装飾するのが嫌なのでしょうね


死んじゃったら、もう見られないから・・・・

【第3幕】
●第1場 サンクト・ペテルブルク
年月が流れ、友人レンスキーを殺した自責から逃れるように放浪し、オネーギンはサンクト・ペテルブルクに戻ってきます。3幕冒頭、このシーンは、E.Oロゴのの透けた幕と後ろの厚い幕の間を、舞台上手から下手方向に、キャストが踊ったり歩いたりしながら横切る形で、進行します。「わッ





やったぁ~




話しは進行します。髭を生やし、白髪交じりになったオネーギンは、グレーミン公爵邸の舞踏会に招待されます。グレーミン公爵の美しい妻が、かつて自分がなえがしろにした女性、タチヤーナであることに気がつき、驚愕

ここが、私が一番心配していたシーンです。フォーゲルの髭の老け役は大丈夫か


「ん? やつれた。 老けた。 でも綺麗


●第2場 タチヤーナの私室
大胆にも、オネーギンは、グレーミン公爵の妻となったタチヤーナに愛を語る手紙を書きます。もちろん、タチヤーナはオネーギンに会わない。オネーギンからの手紙を読んでいるタチヤーナのもとに、夫であるグレーミン公爵が現れる。しかし、妻タチヤーナを疑う必然性は何もなく、接する態度は普段通り(でカッコいい


出た~


さて、どうなる


アマトリアンの気高く、満ち足りた様子のタチヤーナは、美しく、また椿姫に例えますが、マルグリットに重なります。それに対し、自責と空虚な感覚に生きてきたオネーギンが、愛を告白する。床を這い、足にすがり、身を投げうつような苦悩に満ちた様子のオネーギン。タイミング悪く燃え上がった恋心



これから、フォーゲルはこの体験を重ねる中で、確実にオネーギンを自分のものにしていく

ですので、次回のご縁がありましたら、また観に行きます

さて、タチヤーナは、心のどよめき、眠らせていた恋心が目覚めることへの恐怖、目の前でかつてとは真逆に自分にひれ伏して愛を懇願するオネーギンを見て巻き起こる複雑な気持ちに激しく動揺します



しかし、遅すぎた----------

夫、グレーミン公爵が戻ってきて包容したりすることはなく、この絶望と悲しみのうちに終幕です

この場面での、フォーゲルの去りっぷりですが、ロメジュリの時と同じで、何のためらいもなく速いのなんのって。サ~~っと風のようにいなくなっちゃう のです・・・・・。そこがまた、かっこよく美しいのですが、女性的には、一度ぐらい振り向いたらいいのに~って感じます


現代でしたら、こうやって心が壊れて別離しても、数時間後に頭冷やして、メールとかラインでよりを戻すのでしょうが、昔はいいですね~




と、話が大幅にずれまして失礼しました

ここで、すっかりドラマに巻き込まれた私が悩むのは・・・・
(そういう感情に引っ張り込んで下さったシュツットガルトの実力に惚れ

タチヤーナがオネーギンを拒否した理由です。
1:夫の為、
2:突然、過去に傷つけられた時の感情がフラッシュバックして衝動的に、
3:目の前にオネーギンの空虚を辿ってきたような様子を見て直観的に、
4:その他 というように、
「どんな感情なんだろう~っ




ちなみに、誰も知りたくないとは思いますが、私がタチヤーナだったら、夫が突然戻ってこないことを確認し、鍵をかけて、オネーギンと1晩だけ過ごします。そして、翌日から知らん顔します。クランコはこんな風なストーリー・演出の変更は認めないでしょうけれど。

感想を書いたのか?、どんなふうに観たのかの記述をしたのか? 何だかわからなくなりましたが、これにて、おしまい です。
ご清聴ありがとうございました。
注:初見でしたので、順序、違っているかもしれません。
装置幕で、E.Oというエンブレムのシースルーの幕が使われていたのですが、私は、J.C とか S.B じゃないの? なんなの?と思っていまいたが、まぁどうでもいいや~と考えないで過ごしていました。
このブログを書いていて、やっとE.Oってなんだかわかりました。わかるの遅い


11/22は、ヒョ・ジョン・カンとロマン・ノヴィツキーの主演
11/23は、アンナ・オサチェンコとジェイソン・レイリーの主演です。
うわ~、どちらのキャストも良さそう

これ買って読むことにしました

オネーギン (岩波文庫 赤604-1)/岩波書店

¥648
あと、これを買って、車で聞くことにしました。
Onegin/Animato

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