【感想】「オネーギン」Oneginシュツットガルト・バレエ団2015/11/21 | 踊れないけどバレエ好き

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2015/11/21シュツットガルト・バレエ団「オネーギン」Onegin
@東京文化会館
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・I.チャイコフスキー
編曲:クルト=ハインツ・シュトルツェ
装置・衣裳:ユルゲン・ローゼ

世界初演:1965年4月13日、シュツットガルト
改訂版初演:1967年10月27日、シュツットガルト

カテコ写真:NBSのツイッターより 
〈涙を流し、迫真の演技で踊り終えたフリーデマンの感情が伝播し、カテコでは優しく包容し、髪をなでるアマトリアン姉さん〉(写真タイトルはOLIVEによる)

オネーギンOnegin:フリーデマン・フォーゲル
レンスキーLenski/オネーギンの友人:コンスタンティン・アレン
ラーリナ夫人/未亡人:メリンダ・ウィサム
タチヤーナTatjana /ラーリナ夫人の娘:アリシア・アマトリアン
オリガOlga /ラーリナ夫人の娘(=タチヤーナの妹):エリサ・バデネス

彼女たちの乳母:ダニエラ・ランゼッティ
グレーミン公爵/ラーリナ家の友人:ロバート・ロビンソン
近所の人々、ラーリナ夫人の親戚たち/ サンクトペテルブルクのグレーミン公爵の客人たち:女性12人男性12人の団員による
指揮:ジェームズ・タグル
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

客入り:ほぼ満席 全体でところどころまだらに空席がありましたが、大入 でした。

オネーギン全幕、はじめて見ました音譜
パリオペのオネーギンも全部通して観たことがなく、ストーリーも淡く知るだけの状態でしたので、ウキウキ音譜で足を運びました。

ドラマティック・バレエの最高峰の一つビックリマークですね。
とっても演劇的でした。
バレエなので当たり前ですがセリフはないのにストーリーが伝わる。むしろ、バレエには言葉がない為に余計に感情がダイレクトに伝わる。本当に不思議です。生まれも育ちも文化も違うのに、音楽と動きによりすべての感情が伝播してくる。バレエってすごい星と、一層感心を深めました。
心理や感情のうねりを表現するバレエとしては、私個人は、ノイマイヤーの椿姫(La Dame aux camelias:John Neumeier))のほうが好きです。実は、今回オネーギンを鑑賞して、ギョッええ!!としました。椿姫の黑のパ・ドゥ・ドゥって、オネーギンの第三幕のパ・ドゥ・ドゥをしかと踏まえているのですね・・・・クランコの源としての存在は大きいですパチパチ

さて、場面ごとの感想を書きます。
どんなバレエだったかについて、書きたかったのですが、今回の感想は、ただ物語の説明をしているだけのような感じになってしまいました。でも、文で記述いしているような細かな感情がバレエを通して伝わってきて、とてもリアルでしたキラキラ
【1幕】
●第1場 ラーリナ夫人邸の庭
ロシアの田舎の とある家庭。ステージ中央前方に配置された円形ガーデンテーブルを囲むのは、ラーリナ夫人とその娘のオリガ、そして乳母。オリガの姉タチヤーナは、庭で読書をしています。そこに、オルガとオルガの恋人のレンスキーが、客人オネーギンをつれてきます。タチヤーナは、友人らに促されて、鏡で将来の結婚相手を占います。するとオネーギンが鏡を覗き込みます。ビックリ目、タチヤーナは、この都会的で洗練された雰囲気の青年オネーギンに恋心恋の矢を抱きます。
フォーゲル演じるオネーギンとアマトリアン演じるタチヤーナが踊るのですが、バデネス演じるオリガが可愛くてラブラブ!、はじめ、オリガを主人公のタチヤーナだと見間違えてしまっていた私でしたべーっだ!バデネスって、(ガラの感想にも書いたのですが、またまたごめんなさい)美人の部類ではないのですが、愛らしいバレリーナ。チャキチャキしていて、軽快で、小鳥青い鳥のよう。レンスキーの愛に包まれても豊かに落ち着けない弾けっぷりをピカピカのつま先指先で好演でした。手の甲や指が華奢でガラス細工のようでした。

第一場では、群舞に見せ場がありました。チャイコフスキーの軽快な音色に乗せて、田舎のお友達達が踊ります。男女別に円陣を描いたり、ペアになったり、いろいろなフォーメーションを見せます。これがきっちりと踊られていて、テンションあがりましたわーい
段々と、踊りのテンションは上がって、エチュードみたいに、ペアのグランジュッテ軍団が舞台を斜めに横切るシーンは見事で、拍手が巻き起こりましたパチパチ。私は、「うわぁ~、かっこいいっ」って思い、口をぽかんと開けて(ほぼ馬鹿面aya)見入っていましたスゴイ

●第2場 タチヤーナの寝室
オネーギンへの憧れを募らせたタチヤーナは、夜、オネーギンへの愛をつづる手紙をしたためて、眠ります。すると、日中占いをした鏡の中からオネーギンが現れ、タチヤーナと踊ります。これは夢の中です。ところが、私、当初、夢だとわからななくて、いきなりオネーギンが夜這い?って思いながら鑑賞すること数分。どうも話がおかしいな~と自問し、あらすじの記憶を辿り、タチヤーナの内面世界だとわかり、ホッとしました。ストーリー取り違えるところでした。
見せ場の、〈鏡のパ・ド・ドゥ〉では、タチヤーナの初々しい恋心と、タチヤーナの空想通りの内面を持って、官女を潤すように接してくれる想像上のオネーギンとの まばゆいばかりの恋のパ・ドゥ・ドゥラブラブ!。うっとり~。
夢から覚めたタチヤーナは、愛の手紙をオネーギンに届けてほしいと乳母に手渡します。
アマトリアンは、少女の恋心を、少女らしく初々しく、しかも将来美しい女性に成長することさえも予想させるような何とも繊細なバレエで表現してくれました。タチヤーナの夢に出てきたオネーギンは、優しく、タチヤーナを包みこむような笑顔と態度で、甘く、本当に素敵な王子様。ロミオを踊るフォーゲルと同じ味でした。でも、オネーギンフォーゲルは、都会的で洗練された雰囲気で、ニヒルな感じがロミオよりもさらに素敵~アップ。オバサンの中にかすかに残る女子心がくすぐられましたドキドキ

作品についてなのですが、お庭に籐のテーブルや椅子が置いている時点で、椿姫の田舎の家の場面と似ているし、レンスキーって椿姫のガストンとちょっと違うけれど立ち位置が重なる。ノイマイヤーって、クランコの弟子なんだなぁ~ってつくづく理解しました

私がバレエ鑑賞をはじめた当初は、「誰が振付けたとか、誰が誰のために考え作品だとか言う解説は全く無味乾燥で、目の前で展開されるバレエの舞だけを単純に鑑賞すれば良いだけなのに、なんで皆で振付家がどうこうって評論したりして、つまらないことにうるさいなぁ~」と思っていたのですが、ここ最近は、バレエ鑑賞の際には、このあたりをざっくり押さえないと気が済まないようになってきました。必ず知った上で見なければいけないことは全くないし、逆に細かいことは知らないほうが純粋な目で踊りを観られるとも思うのですが、作品の奥に潜むものを捉えたかったら、知ったほうが断然面白く鑑賞できると思い始めました。美しい川をみて、流れを愛でるだけが良いか、川底を覗きたいか否かといっただけの問題ですけれど。

【2幕】
●第1場 タチヤーナの誕生日

タチヤーナの誕生会(舞踏会)には、田舎の貴族達が集っている。舞踏会には、色々な
招待客が招かれており、1幕に続き2回目の群舞の見せ場です。しかし、滑稽なのは、招待客に老人が多いのです笑。シーン自体はとても華やか で、音楽も流れもとっても素敵なのですが、大問題がビックリマーク。ふふふ・・・笑赤いストライプのおズボンのツルツル頭にちょっとクルクルヘアのお爺さんにツボってしまって、笑いがとまらなくなり、ずっとヒクヒクしていました。誰ですかはてなマーク あんなに年寄り役を滑稽に踊るダンサーは!? 老人達、とても面白いのですが、1人、滑稽さが突出しているダンサーがいました笑よぼよぼなのにつま先だけはピカピカなのですから、面白すぎます。
メインで踊っているダンサー以外にも、同じステージでいろいろなことが起こり、鑑賞スポットが多いという点は、リピ鑑賞をそそられます。でも、滑稽すぎて、ツボってしまうと大変です叫び。この老人役の投入に関しては、皆さんどう感じてらっしゃるのかしらはてなマーク オネーギンという救い難い男がタチヤーナを巻き込み引き起こす悲劇的な結末のバレエなので、全部シリアスでもよいのですが、ここに受け狙いの演出を投入しているクランコがまた好きラブラブ!・・・と私は感じました。
(この手のヘンテコ演出の投入がなされているクランコ作品はどんなものがあるか、マニアックな点検をしたいな…と思いました)
さて、都会できらびやかに過ごしてきたオネーギンの目から見ると、タチヤーナなどはただの恋愛小説を読みすぎた田舎少女。オネーギンは、タチヤーナには全く関心はなく、隅っこで、舞踏会でも退屈そうにそっぽを向いて過ごしています。すでに、タチヤーナからはラブレターを受け取っていたが、その手紙にさえも、田舎娘の告白などには付き合っていられないといった馬鹿馬鹿しく受け止め、苛立ちさえも感じている。ここでのフォーゲル、もう顔からしてふてぶてしくて嫌な感じ。周囲を見下したような。気づかいを感じさせないふてぶてしさ。舞踏会に集まる客に対して退屈極まりないからトランプなんかしちゃうような露骨な態度。それなのにあせる容姿端麗で華々しい男という既成事実が交差して、ホントに嫌な感じの演技を好演キラキラ。フォーゲルの演技では、今までにないようなニュアンスなので、私は、その冷淡で嫌な感じの演技の中にも「お願い~。フォーゲル!タチヤーナの方を振りむいて~。」と優しさを探してしまいました。でも、微塵の優しさも愛もなかった涙目。バレエの表現では、体の向きや、腕の出し方、動く速度や角度などで意志・感情、性格を表すと思うのですが、このあたりフォーゲル、先週のロミオからの切り替えが素晴らしかった。1週間で、完全にスイッチを切り替得えて演じるは、相当の念力がいるでしょう。フォーゲルの集中力、ピカイチビックリマーク
オネーギンはタチヤーナに「君を愛することはない」と伝える。それでも・・・というタチヤーナのことを、面倒そうにあしらう。最後には、何かの仕打ちのように、タチヤーナからの手紙を破いて見せ、破いた手紙を、ショックを隠せないタチヤーナの手に押しつけるように握らせる涙。素行が悪くて汚い男~もやもや。嘆き悲しむタチヤーナを前に、オネーギンは、面倒なことに付き合うのはまっぴら御免とばかりな冷淡な態度をとる。
このシーンのフォーゲルの冷淡さがまた、カッコよかったアップギャップ萌えっていうのかしらはてなマーク 甘い演技が十八番なイメージのフォーゲルに、こんな一面があるなんて~と、なんだか悪い男に惹かれる自分をコントロールできないような心の揺れを感じました。というか、これはフォーゲルでなくて、フォーゲル扮するオネーギンなので、フォーゲルの悪い男風の一面っていうのは、おかしな捉え方しちゃっています。でも、そこが、ごっちゃになっちゃってわからなくなっちゃうくらい演技が行き届いていて、光っていましたハート。大体が、フォーゲルの目が良い。瞳孔が良い。全然、恋や愛には関心がなく全人に距離を置いた瞳をするフォーゲル。演技上手いハートを通り越して、なりきっていました。その姿、脳裏に焼き付きましたハート。「もう~、オネーギンちゃんったらぁ~もう~も~ううし」と焦らされました。ご覧になっていない皆さんにも、この気持ち、お分けしたいラブラブ

タチヤーナに恋する紳士的で優しいグレーミン公爵(ロバート・ロビンソン)が現れる。ラーリナ夫人は、この二人の縁談に期待。でも、ブロークンハートのタチヤーナはグレーミン公爵の優しい愛の眼差しに気付かない。ロバート・ロビンソンは、高貴で、揺るがない、安定の男を好演。さほどキャラの立つ役ではないのですが、この路線の男性って一定の不動票がありますから、「グレーミン(ロバート)ジュテーム」って感じた女性客多いのでははてなマーク 品を携えたダンディーな紳士を見事に踊っていました。このあたりを日本のバレエ団で見ると、古い男性団員(ほぼ先生の域)が、ある意味では熟した演技でのっそりと演じているだけで、何の色気もなく、現実に引き戻され感たっぷりなのでズッコケますが、シュツットガルトでは満点星でした。
さて、オネーギンは、オルガと軽い気持ちでいちゃついて過ごしています。
ここで、「ちょっと待ったぁ~萌」と感じました。もう、オネーギンのこのチャラいキャラ、かわいい~ハートと感じるオバサンOLIVEハート
この様子を見て、真面目なレンスキーの怒りは爆発爆弾(笑 ←何がおもしろいのか?と自分突っ込み)
レンスキーの感想、ここで書かなければいけませんね。コンスタンティン・アレンの演じるレンスキーは、かなりの反則技?)。スタイルが良すぎ長身・頭小・美顔・横顔が綺麗・脚長・手長で細身)て、まるでCGの産物ではないかと思う程え?。パリオペで言いますと、ヴァンサン・シャイエ的な感じ。バレエも上手い・上手い! お疲れ蓄積?で、ん?というポジションや着地もはいってしまうフォーゲルに比べて、アレンは まだ新らしい充電池風の安定感で、レンスキーの哀愁に満ちたソロキラキラを踊りました。レンスキーンのソロはヌレエフの眠りのデジレのソロみたいな感じで、男性ダンサーの魅力を存分に味わえるパートでした。初見なので振り付けはあまり記憶にないのですが、細かいパの組み合わせて、目にバランス良い振り付けだと感じました。


●第2場 決闘の場
友人オネーギンと婚約者オリガの裏切りによって、心が砕け散ったレンスキーの怒りは収まらず、オネーギンに決闘を申し込みます。タチヤーナとオリガは、レンスキーをなだめますが、全く怒りはおさまらず、オネーギンもこれにのり決闘に至ります。このあたりの早めのテンポでの演技(バレエ)、行き届いていていました。
テンポよく、あれこれ揉めて、オネーギンは友人レンスキーを打ち殺してしまいますQueenly
これが結構あっさりと打ち殺してしまったので、私的には「あれはてなマーク もう死んだのはてなマーク」ともの足りませんでした。
クランコは、人が死ぬシーンで、死を装飾するのが嫌なのでしょうねカモ。でも私は、面白く見たいので、バレエでよくありがちですが、死んだと思ったらまた息を吹き返して…みたなくだりを求めてしまいました。だってレンスキーの舞台映え、半端なかったのでもっと見たかったしょぼん
死んじゃったら、もう見られないから・・・・あせる


【第3幕】
●第1場 サンクト・ペテルブルク

年月が流れ、友人レンスキーを殺した自責から逃れるように放浪し、オネーギンはサンクト・ペテルブルクに戻ってきます。3幕冒頭、このシーンは、E.Oロゴのの透けた幕と後ろの厚い幕のを、舞台上手から下手方向に、キャストが踊ったり歩いたりしながら横切る形で、進行します。「わッラブラブ、嬉しいラブラブ。レンスキーが出てきて、打ち殺されるシーンのレビューありだわラブラブ!。」レンスキーをもう一度拝めてちょっと得した気持ちラッキーになりつつ、このシーンの最後に、死んだレンスキーが照明を落とすことなく、むくっと立って下手にはけましたあれ??
やったぁ~おつ ブラボーきゅぴーん こういう(死んだ人がすくっと立つ)の大好き合格。あれ、私ほぼ演出フェチはてなマーク
話しは進行します。髭を生やし、白髪交じりになったオネーギンは、グレーミン公爵邸の舞踏会に招待されます。グレーミン公爵の美しい妻が、かつて自分がなえがしろにした女性、タチヤーナであることに気がつき、驚愕ぇ゛します。そして、その時から次第に、過去の自分の態度や考えを嘆くように変化します。
ここが、私が一番心配していたシーンです。フォーゲルの髭の老け役は大丈夫かはてなマークです。フォーゲルのオネーギン第3幕は、「どんなかなぁ~もじゃもじゃ」というドキドキした気持ちで迎えました。
「ん? やつれた。 老けた。 でも綺麗キラキラ青。 カッコいい。 ん? とっても辛そう。 悔いてそう。 なんだか必死に今を生きている風。 でも踊りのどこかがロメオ。 アレ? 若い? いや、老けてる? フォーゲル、泣いてる…うるうる」と変化するのです。

●第2場 タチヤーナの私室
大胆にも、オネーギンは、グレーミン公爵の妻となったタチヤーナに愛を語る手紙を書きます。もちろん、タチヤーナはオネーギンに会わない。オネーギンからの手紙を読んでいるタチヤーナのもとに、夫であるグレーミン公爵が現れる。しかし、妻タチヤーナを疑う必然性は何もなく、接する態度は普段通り(でカッコいいラブラブ!)。タチヤーナは、自身の心の揺らめきにかすかな不安を覚え、女の直感で、夫に一緒にいてくれるように頼むのですが、夫は出かけてしまうやじるし。そこに、オネーギンが、タチヤーナに愛を告白しにやってくる。
出た~顔!、クライマックスですアップ
さて、どうなるはてなマークって結果わかっているのに顔 、ドラマに巻き込まれる変な観客感情が会場中に渦巻き、東京文化会館の空気が淀みました
アマトリアンの気高く満ち足りた様子のタチヤーナは、美しくまた椿姫に例えますが、マルグリットに重なります。それに対し、自責空虚な感覚に生きてきたオネーギンが、愛を告白する。床を這い、足にすがり、身を投げうつような苦悩に満ちた様子のオネーギン。タイミング悪く燃え上がった恋心恋ストレートにぶつけるオネーギン。タチヤーナの両手を後ろから掴み情をぶつけるように首筋にキスを浴びせるオネーギン(フォーゲル)は、良くも悪くも感情に振り回されているように見えました。「あっ、これフォーゲルのキャパ超えてるかも?」ってオバサン的には感じました。タチヤーナに思いをぶつける過程で泣きそうになり、次第に感情を爆発させると実際涙を浮かべて踊っていました。そんな(鼻を赤らめ目が潤んで)フォーゲルはじめて見ましたスキフォーゲルというダンサーが役に飲み込まれていく様子は凄まじかった。ダンサーとして人間としての年輪はまだオネーギンの壮絶な気づきと絶望を表現するには、やや若いと感じましたが、こうやって舞台の上で、役を体験することが出来るダンサーって数少ないし、そこまで踊り込めるダンサーこそ観客に感動を与え得るでしょう。今回は、オネーギンがフォーゲルに乗り移っちゃって、ちょっぴり役に食われちゃったような気配を感じたのですが、でもでも良いですOK
これから、フォーゲルはこの体験を重ねる中で、確実にオネーギンを自分のものにしていくビックリマーク そう強く感じました。こういう感情を映すタイプの振付を多様な観客に見せるにあたって、きっとダンサーはいろいろ苦悩があろうと思います。自分という観点から考えたり、役になって悩んだりして、練り上げていくのでしょう。その手作りのものを見せていただける私たち観客はこの上ない幸せです。
ですので、次回のご縁がありましたら、また観に行きます音譜 BY おっかけオバサン

 さて、タチヤーナは、心のどよめき、眠らせていた恋心が目覚めることへの恐怖、目の前でかつてとは真逆に自分にひれ伏して愛を懇願するオネーギンを見て巻き起こる複雑な気持ちに激しく動揺しますえっ。アマトリアンの柔らかい肢体が描く女性的な動きは、彼女ならではの味わいキラキラ。ポワントの踵が綺麗で、まったく音を立てずに、着地します。二人の美しいパ・ドゥ・ドゥは何分程度のものか測っていませんが、そのうちの数分は、タチヤーナの心はオネーギンに揺らめき、“二人の気持ちがはじめて合う瞬間が”あります。それが、上手くはいかないものであることがわかっているからこそ、瞳と瞳を合わせたほんの一瞬や、踊りが同調したほんの一瞬が強調されて、印象に残りますきらきら
しかし、遅すぎた---------- ダウン。タチヤーナは、かつて自分がされたように、オネーギンの手紙を、彼の眼前で破り、オネーギンの手に押しつけます。その時のアマトリアンは取り乱しながらも拒否の牙を明確にオネーギンに剥きます。その出来事に深く痛めつけられるオネーギン。アマトリアン(タチヤーナ)は、扉の方向を強く指差して、オネーギンに出ていけと伝えますその姿はなおも綺麗です。 オネーギンは、散るように タチヤーナの前から姿を消します。そして、そのオネーギンを遅れて追うタチヤーナはエネルギーを奪われ弱まり、自室で独り嘆くのです。
夫、グレーミン公爵が戻ってきて包容したりすることはなく、この絶望と悲しみのうちに終幕ですわーい
 この場面での、フォーゲルの去りっぷりですが、ロメジュリの時と同じで、何のためらいもなく速いのなんのって。サ~~っと風のようにいなくなっちゃう のです・・・・・。そこがまた、かっこよく美しいのですが、女性的には、一度ぐらい振り向いたらいいのに~って感じます笑こういうシーンでのあっさり加減は、クランコの特徴だと思います。これで、ドラマ薄~って感じる方もいらっしゃるかもしれないなぁ~と思いました。でも、私は、クランコ好きちゅ~♪です。
現代でしたら、こうやって心が壊れて別離しても、数時間後に頭冷やして、メールとかラインでよりを戻すのでしょうが、昔はいいですね~チュッ。対面で感情をこじらせたら、そのまんまビックリマーク そのほうが、さっぱりしていていいビックリマーク クランコ万歳ビックリマーク
と、話が大幅にずれまして失礼しましたすまん
ここで、すっかりドラマに巻き込まれた私が悩むのは・・・・
(そういう感情に引っ張り込んで下さったシュツットガルトの実力に惚れ*はーと、観て良かったと大感謝しています)
タチヤーナがオネーギンを拒否した理由です。
1:夫の為、
2:突然、過去に傷つけられた時の感情がフラッシュバックして衝動的に、
3:目の前にオネーギンの空虚を辿ってきたような様子を見て直観的に、
4:その他
 というように、
「どんな感情なんだろう~っおさる」て想像を廻らせるのが楽しい音譜自分にはドラマがない主婦の私笑。今回の公演は、まったく どう解釈してもよいような後味でした。きっとダンサーによって違うんでしょうね。今回の公演は「ご自由にお考えくださいね」と言われたと同然で、観た後に考えるのが楽しい限りわーい
ちなみに、誰も知りたくないとは思いますが、私がタチヤーナだったら、夫が突然戻ってこないことを確認し、鍵をかけて、オネーギンと1晩だけ過ごします。そして、翌日から知らん顔します。クランコはこんな風なストーリー・演出の変更は認めないでしょうけれど。笑

感想を書いたのか?、どんなふうに観たのかの記述をしたのか? 何だかわからなくなりましたが、これにて、おしまい です。
ご清聴ありがとうございました
:初見でしたので、順序、違っているかもしれません。

装置幕で、E.Oというエンブレムのシースルーの幕が使われていたのですが、私は、J.C とか S.B じゃないの? なんなの?と思っていまいたが、まぁどうでもいいや~と考えないで過ごしていました。
このブログを書いていて、やっとE.Oってなんだかわかりました。わかるの遅いはてなマーク うける

11/22は、ヒョ・ジョン・カンとロマン・ノヴィツキーの主演
11/23は、アンナ・オサチェンコとジェイソン・レイリーの主演です。

うわ~、どちらのキャストも良さそう音譜

これ買って読むことにしましたsao☆
オネーギン (岩波文庫 赤604-1)/岩波書店

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あと、これを買って、車で聞くことにしました。
Onegin/Animato

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