直木賞受賞作、「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん著)DVDを観た。
テレビドラマの「まほろ駅前番外地」のほうが聞き慣れている方もいるかもしれない。
本作はこのドラマの原点となる作品で、2011年に映画化されたものである。
便利屋としての仕事の中で、主人公の多田が塾帰りの小学生を親の代わりに迎えに行く場面がある。
塾を背景にして、似つかわしくないボロい軽トラで迎えに行くのだが、その帰りの車の中で多田が黙ってタバコを吹かしているシーンがある。
「子供の前でタバコやめようとか、そういう気遣いないわけ?」
小学生は顔を歪め、あからさまに煙を手で払う仕草をする。
それに対して多田が言う。
「美しい肺を煙で汚してしまえ。それが生きるということだ」
その台詞がすごく印象的だった。
それだけで、この作品を観る価値は十分にあったと思う。
人は生きている中で、ずっと綺麗なままではいられない。
親は子供を産んだ時から、子供に綺麗なままでいて欲しいと願い、汚いものから子供を遠ざけようと必死になる。
子供もそんな親を見て、「汚いものに近づいちゃいけないんだ」と、いつしか思うようになる。
そして、いつか自分が汚れたと気付いたとき、とてつもない焦燥感と罪悪感に襲われることになる。
しかし先ほどの台詞が表しているように、実はそれこそが生きている証なのだ。
汚れること=生きること
であって、
生きている→汚れてしまう
では決してない。
この台詞を聞いて、何となく救われた気持ちになった自分もやはり、汚れることは良くないことという幻想に包まれていたのかもしれない。
自分の子供にいつまでも綺麗なままでいて欲しいと願い、汚いものを見せないようにする親の配慮や気持ちは分かるが、それが教育上、逆によくないのかもしれないと今回初めて思った。