兄です。
溜まってしまった思い出を吐きだすブログ、その2。
踊ってみたのことを思い出す時、
頭の中には必ずこの曲が流れてきます。
踊ってみたの活動って、
いつもぼくたちの中では
点と点でしかありませんでした。
めせもあ。をみてもらってもそれはわかるかと思います。
ぼくたちは、生まれも育ちも、
この地球に産み落とされた時代も違くて、
普通に人生を送っていたら、
一瞬たりとも交わるはずのない運命たちでした。
時々笑い合うんです。
◯◯県の人にこんなに仲良い人ができるなんて思わなかった。
茨城に住んでいた自分なんか、特にそう思わされます。
ぼくたちを応援してくださるみなさんの中にも、
めせもあ。のおかげで…なんて
声をかけてくださる方もいらっしゃいますよね。
そんな感じです。
そして、そんな点と点が線になって。
いつの間にか、めせもあ。なんかは、一つの点に吸収されていった感じですけどねw
そのきっかけはいつも、踊ってみたイベントでした。
そしてそのイベントが終わるたびに、プラチナが頭の中で流れます。
10年後の僕たちは 何をしているのかな?
また会えるかな?
共演したあの人に。
応援してくれたあの人に。
ぼくたちを繋ぐ線は脆くて、儚くて。
ひとたびイベントが終わってしまえば、
幻のように消えてしまいます。
ぼくたちは、もとの運命に戻っていきます。
次また線が架かる約束なんてなくって。
10年後のぼくは、今日という日をどんな風に振り返るんだろう。
バカなことをやってたなって呆れるかな。
楽しかったなって笑ってくれるかな。
あの時共演した子は元気かな。
OADは、
繋がるはずのなかったぼくたちを、
もう一度繋いでくれたんです。
あの人と、あの場所と、あの曲と、あのダンスと。
だから、ありがとう。
記憶はほとんどありません。
ただただ、ステージに立つことが楽しかった。
それは、ステージに立つことそのものの気持ちよさではなく、
再会の喜びです。
このブログを書いている今になって、
ようやくあのイベントが終わってしまったことを実感しています。
寂しい。
それが素直な気持ちです。
文章って嫌です。
書いてしまえば、それが過去になってしまう。
椎名林檎みたいですね。
でも書くことで、今の感情を色褪せず残せる点で言えば、
写真よりも文章は優れているし、
時代はギブスの時よりも進化したんですね。
誰がわかるんだって話ですが。
このブログを書き終えることが嫌で、
回りくどく話をしていますね。
書き終えたら、次に進まなくちゃいけない。
この浸っている感情から出なければならない。
さらに進まなくちゃいけない。
時は戻すことができないから、
願わくば、ぼくたちが歩いて行く先に
もう一度再会が待ち受けていますように。
OADが終わりではなく、
新しい何かの始まりとなりますように。
<9:38 追記>
Differ、本当にありがとう。