入り口の門のようになっている木戸をくぐりぬけると何軒もの小さな間口が軒を連ねる長屋が見えた。
職人の道具が家前に天日干しにされており、張り干しされている紺色の反物も見える。
井戸の傍にはくみ上げたばかりのおけが置かれているので夕食の準備でも始めるのだろうか、少し前まで文字通り井戸端会議をしていたかのような様子が伺える。
裏長屋を奥へと歩きながらおれはそんな様子に視線を配っていたが、早々に用件を伝えた引き上げねばならない。
奥手に位置する八兵衛の戸口を叩くと中からしゃがれた声が返ってきた。
「誰もいねえよ」
「いるじゃないか、開けるぞ」
そういって俺は障子が所々破れた戸口を勢い良く開け放った。
すると、景気の悪そうな顔をして膝にほおづえをしてあぐらをかいている八兵衛の姿が見えた。中には湿気臭いむうっとした空気が立ちこめている。
「おう、そんな面してどうしたっていうんだ?」
「どうしたもこうしたも、おまんま食う銭がないんだよ、おめえさんも分かってるだろ」
天保の大飢饉も重なって八兵衛のような手に技を持つ職人でさえ食いあぶれるような状況であった。