ナツメグ姉弟(上)
――西暦1486年。ヨーロッパのとある小国、ポルトニア王国の首都ラスボンの港町は今日も活況をみせている。無精ひげを生やした多くの船乗りが行き交い、商人とおぼしき格好の者が積み荷の商品をさわりながら、手元のリストに目を落としている。船乗り相手に煙草や酒を売る行商人の張りあげる声が騒がしい。
そんなラスボンの港町には国内から多くの農作物、加工品などが交易品として集まり他国に輸出されていく。
「1キロあたり金貨50ドラだな」
農作物を買いあげる卸商売の親父は言った。
「おいおい、親父、もう少しなんとかしてくれよ」
「むりな相談だ。ふぞろいなナツメグはそれだけで価値がおちる」
親父は渋い顔をしている。
「ふざけんな……」
ニコが言い返そうとしたが、アンナがさえぎった。
「わかりました。このお値段でお願いしますわ」
「アン姉! おれたちのナツメグがこれじゃ安いって」
「いいの。あたしたちが生活できるくらいのお金は頂戴できるわ。十分じゃない」
「ははは、さすがアンナちゃんは分かってるな。ガキが商売に口だすのは10年はえんだよ」
親父は腕をくみながら、ニコをにらみつけた。
「うるさい。いつか見返してやるからな」
「ニコ! さぁ行くわよ」
「じゃあ、ナツメグは置いていきますわね」
「おう、これは代金だ。もってきな」
アンナは金貨500ドラがつまった袋を受け取った。
「じゃあまたお願いしますわ」
「おう」
――ニコは、口をへの字にしながら空になった荷車を引いている。
「ニコ。いつまでそうしてるの」
「だって、アン姉は商売が下手なんだよ。粘ればもっと値段あげられるって。さっきだって、50ドラで買い叩かれてたしさぁ」
「別にいいじゃないの。とりあえずこのお金があれば次の収穫まで生活はできるわ。あたしとニコが生きられるお金があれば十分じゃない」
「そうは言っても、もっと旨いもん食いたいし、もっと柔らかいベットで寝たいよ。それに、今のままだとアン姉の手がそんなにカサカサになるまで働かなきゃいけないなんて」
ナツメグ農場で毎日農作業を行っているアンナの手はところどころ摺りきれている。
「あたしはいいの。今のままでも十分しあわせよ。ニコはしあわせじゃないの?」
「そんなことないよ。アン姉と2人で平穏無事に暮らせてることには感謝してる。でも、おれはもっと良い生活がしたいんだ。アン姉にももっと楽してほしい」
「ありがとう、やさしい子ね。あたしはその気持ちだけでしあわせよ。さぁ、帰ってあたたかい食事にしましょうね」
――アンナとニコは、首都ラスボンから徒歩2時間ほどの農村で小さなナツメグ農場を営んでいる姉弟だ。今は亡き両親から農場を引き継いで早や5年、2人だけで切りもりしてきた。姉のアンナは歳にして18を数え、弟のニコは16になる。2人の少年少女はたくましく生き抜いていた。
テーブルの上ではクリームシチューから湯気がのぼり、焼きたてのパンがそえられている。部屋の中にはクリームシチューのほのかに甘みのある香りとパンの香ばしさがお腹の減るハーモニーをかもし出していた。
「さぁ出来たわよ」
「いっただっきまーす!」
ニコは満面の笑みでクリームシチューに手をのばした。そんなニコを見て、アンナも自然と微笑む。
「おれ、アン姉が作ってくれる特製シチューが一番好き! 特に今日みたいにラスボンでナツメグを売った日にはチキンが一杯入ってて嬉しいんだ」
「普段は、なかなかチキン入れられないからね。今日ぐらいはたくさん食べなさい」
「もちろんっ!」
ニコはおもいっきり大きな声で返事をした。
翌朝も早くから起きてナツメグの世話を始める。アンナとニコは昼過ぎまで仕事に精をだして、切り株の上に座ってひと休みしていた。
「そうえば、アン姉も今年で18歳だよね」
「なによ、突然」
「いや、結婚しないのかなぁと思ってさ」
「うるさいなぁ、時期が来たらするわよ。それにあんたのこともほっとけないしね」
「……そっかぁ。せっかくアン姉は美人なのにもったいないよ」
「なにいってるの! 姉さんをからかうんじゃありません」
「2年前だって、ラスボンの港町で宿屋をやってる若旦那から声がかかったときもことわっちまうしさ」
「あの方はタイプじゃなかったのよ。理想の人がいたら結婚するわ」
「……うん」
ニコは、日ごろから自分のせいでアンナが結婚できないのではないかと悩んでいた。たしかに、アンナが嫁いでしまうとニコ1人でナツメグ農場を切りもりしなくてはならないが、小さな農場といってもさすがに一人では営むことができない。だからこそ、ニコは1人でも生活できるようにお金を稼ぎたいのである。アン姉には幸せになってほしい。ニコは強くそう願っているのであった。
――ニコは、ラスボンの大通りをかっ歩していた。ナツメグ農場の手入れには大変手間がかかる。それでもアンナが体を壊しちゃいけないと強く言うので月に1、2日は農作業を休みにするのだ。ニコは、そんな休みの日は欠かさずにラスボンまで来るようにしていた。なにも街に出てきて遊びたいと言うわけではない。大通りや港町を巡って、自分たちのナツメグがどうやったら高く売れるかを探っているのだ。
「最近、景気はどうよ」
「いやぁ、ぼちぼちだね」
「そうそう、景気のいい話があるんだが、ナツメグを大量に仕入れられないか?」
「なんで、ナツメグを?」
「実は、隣国のセリアで香辛料としてナツメグの需要が高まっててな」
「ほうほう」
「どうやら王宮でナツメグを使った料理が流行ってるのが発端らしいのだが……」
そんな会話を壁際に背をもたれて聞きつけている若者がいた。そう、ニコだ。
ニコはまたと無い情報を仕入れることに成功し、顔をにんまりとする。
ちょうど今回の収穫も来週には終わるだろう。そのタイミングで自分たちのナツメグを隣国セリアまで売りにいければ大もうけできる。
いつもの卸商売の親父に隣国セリアの話をすれば、多少は高く買い取ってもらえるかもしれないが、たかが知れた額である。
もっと大きく儲けたい。ニコは強くそう思い、そのためなら多少の危険もいとわない覚悟だった。
ニコは字のごとく飛んで帰る。徒歩2時間かかる道を半時で突っ走ったのだ。それでも、ラスボンを出たのがおそかったため日も暮れて夜になるころ、家の光にたどり着いた。
ニコは帰るなりすぐにアンナにラスボンでの話を伝えた。だが、アンナの表情はすぐれない。
「……あたしは反対だわ」
「どうして?」
「そもそもどうやって隣国セリアまで行くつもりなの? 何とか船に乗れたとしても1週間はかかるわ。それに、嵐に遭遇したら船なんて簡単にしずんちゃうのよ」
「それはわかってるよ。アン姉を心配させるつもりはない。ただ、おれたちのナツメグを高く売るぜっこうのチャンスじゃないか。一度だけでいい。一度だけでいいからナツメグを高く売ってアン姉に楽してほしいんだよ」
ニコはその素朴な顔から真剣なまなざしを見せつける。
「その気持ちは嬉しいけど……」
「けど……?」
「危険なことはだめ! ニコをそんな目にあわせるわけにはいかないの。ぜったいだめ
からね」
アンナは席を立って、「もう寝るわ」と言ってベットに入ってしまった。
「アン姉はどうして分かってくれないんだよ……お金を稼いでアン姉に楽してほしい。そして、おれのことを気にしないで結婚して幸せになってほしいのに」
――透き通る空気がすがすがしい。近くに茂る林の木々からは鳥たちが朝の挨拶を始める。そんな朝の太陽が顔を出し始めたころ。
「アン姉には少し心配かけちゃうけど、かならずお金たくさん持って帰ってくるからね」
ニコは、倉庫で収穫済みのナツメグをリュックサックに詰め込んでいた。ぱんぱんになるまでナツメグを詰め込んで、およそ10キロと言ったところだろうか。
ずしっと重みのあるリュックを背負ってニコは出発した。
少しばかり肌寒い朝の旅路を2時間ばかり歩いてラスボンの港町につく。ニコは、きょろきょろと隣国セリアへ向かう船を捜していた。セリアへ向かう商船に便乗させてもらおうという魂胆である。
「おじさん、この船どこに向かうの?」
「なんだ、ぼうず? セリアの首都セビリアだよ」
「ほんと? おじさん、おれも船に乗せてよ」
「なんだ急に!? ガキは帰りな」
「おれ、どうしてもセリアに行かなきゃならないんだ、お願い!」
「どうしても乗りたけりゃ運賃よこしな。っと言っても、ガキにはそんな金ないだろうがよ」
「うん、お金は無いけどこれならあるよ」
ニコはリュックから何個かナツメグを取りだして見せた。
「ナツメグじゃねぇか。たしかにナツメグは商品にはなるが、いかにせんリュック一杯分じゃ取引するには量がすくねぇな」
「でも、運賃くらいは稼げるでしょ。セリアで売ったらおじさんに金貨1000ドラ支払うから乗せてよ!」
1000ドラは、一般的な平民の2ヶ月分の生活費に相当する。
しかし、この港町の相場でナツメグは1キロ50ドラ程度である。10キロのナツメグでは金貨500ドラ程度にしかならない。ニコはセリアでの売上を見こして、かなり大きく勝負に出たのだ。
「ガキ1人を船に乗せて1000ドラか……悪くねぇな」
「よし! お前をおれの親戚のガキってことにして乗せてやるよ。船乗り修行ってことにしてな。ただし、本当のことは船長に言うなよ?」
「もちろん! ありがとう」
――1週間の船旅ののち、セリアの首都セビリアに着いた。ニコの乗った船は、一度も雨に見舞われることなく順風満帆、快晴の船旅となった。セビリアの港町は、ラスボンに負けず劣らずの活況を呈している。
「ぼうず、着いたぞ。セビリアだ」
「おれ初めて来たよ。うわぁ、人が多いなぁ」
「今日は特に係留してる船が多いみたいだからな。おれらの商売敵も多いと来たもんだ」
「で、ぼうずのナツメグはどうやって売るつもりなんだ? 卸商売の親父にでも売るのか?」
「……ちなみに、卸商売だといくらぐらいになる?」
「今の相場だと、輸送費込めて1キロ350ドラぐらいだな。とは言っても、その量だと卸商売には手間だとか言われて買い叩かれるぞ」
「いや、卸商売には売らないつもりだよ」
「じゃあどうすんだ? 少なくてもおれの支払い分は稼いでもらわないと困るぜ」
「それは大丈夫! 任せてよ。おれに考えがあるんだ」
ニコは、手の甲を自分の鼻におしつけて少し考えるそぶりを見せた。
「――ちょっと聞きたいことがあるんだけど、どこかナツメグを使った料理を出してるお店知らない? できれば王宮にも料理だしている店で」
ニコはナツメグを満載したリュックを背負ってセビリアの大通りを20分ほど歩く。
すると、その店はあらわれた。
「大通りを歩くとセリアの国旗を掲げたド派手な店がある。そこが王宮御用達として有名な店だ。とはいっても高くておれらは食えねーけどな。ド派手な国旗を目安に行けばすぐ分かる」と船乗りのおじさんは言っていたけど、まんまド派手な国旗を見つけた。セリアの国旗、2人の騎士が対峙しながら剣を交差する絵柄の国旗が店の壁面いっぱいに大きく掲げられている。ニコはあまりのド派手さに思わず吹いた。
ニコは、お店の裏手にまわった。調理場らしいところからは「スープはまだか?」「下ごしらえしとけぇ!」など怒声が響いている。
その時、調理場の勝手口から1人の大男が出てきた。無精ひげを生やした強面の男だ。
「ん? なんだおめぇは。調理場で働らきてえのか?」
「ちがう。これを見てほしくて来たんだ」
ニコはリュックを下に置くと、口をあけて中身をひらいた。中にはごろっとしたナツメグがつめられている。
「ポルトニア産の良質なナツメグだよ。しかも収穫して1週間ちょっとの新鮮なナツメグ。欲しくない?」
大男は、顔をしかめながら黙ってナツメグをひとつ手に取った。そして、軽くかみ砕い
ナツメグの割れめからにおいを嗅いでいる。
「……芳醇な香りだな。たしかに質は間違いない。でも、どうしておめぇはこんなもの持ってるんだ?」
「このナツメグはおれの農場で愛情こめて作ったんだ。それをセビリアまで運んできたんだよ」
「!? おめぇわざわざポルトニアからここまでナツメグを持ってきたのか? しかもガキ1人で」
「そう、このナツメグをいろいろなお店に見せて自慢したくてね」
「……分かった。キロ350ドラで買おう」
「その金額じゃだめだね。今、王宮ではナツメグを使った料理が人気なんだろ? 港町でもナツメグの相場は上がっているはずだ」
「おめぇよく知ってんな。わかった400ドラだ」
「港町の卸商売からの仕入れ値を考えれば金貨600ドラでも安いんじゃない? しかもこの品質・鮮度のナツメグはなかなか手に入らない」
「わーったよ。商売がうまいガキだな」
大男は勝手口から調理場に戻ると、金貨の入った袋を持ってでてきた。
「ナツメグ10キロだから、金貨6000ドラだ。もってきな」
ニコは受け取った袋の中身をていねいに確認してから、金貨を5000ドラと1000ドラに小分けにしてリュックにしまいこんだ。
「毎度あり!」
「……たいしたガキだ。またセビリアに来たら売りに来いよ」
ニコは、金貨の入ったリュックを背負い込んで、満面の笑みをみせていた。セビリアの大通りを港に向かってかっ歩しながら、売上を聞いて喜ぶアンナの顔を思い浮かべ、ニコの笑みはニヤけた顔へとなっている。しかし、アンナに何も言わず飛び出してきたことを思い出し、ニコは表情をかえた。アンナは普段やさしい分、怒るととても怖いのだ。
「突然、家を飛びだしてきちゃったけど……家に入れてもらえるかなぁ」
ふと、行商人の露店で琥珀色に輝く丸いペンダントに目がとまった。
「これ、アン姉が好きそうな色だな」
普段はペンダントなんかに目もくれないニコであるが、アンナの怖い顔を思い出したら、心配をかけた謝罪にプレゼントを買おうという気になったのだ。
そんなこんなで、ニコは買い物をすませて船に戻った。
「おう、ぼうず、帰ってきたか。で、ナツメグはどうしたんだ?」
「売れたよ」
「ほう、その量でよく売れたな?」
「卸商売じゃなくて直接料理店に売りに行ったからね。少量でも売れる。しかも余計な中間利益が入らないから倍以上で売れると気づいたんだ」
「なるほどな。だからおれに料理店を聞いたのか。じゃあおれの運賃も問題ないな」
「はい、金貨1000ドラ」
「――おう確かに頂いたぜ。さぁ、船にのりな」
こうしてニコは金貨5000ドラの売上げを持って祖国ポルトニアに帰った。5000ドラといえば、ニコとアンナがいつもの卸商場の親父に売っている100キロのナツメグと同じ売上げだ。それをたった10キロのナツメグで稼いできたのである。
今回の商売でニコは儲けのコツをつかんだ気がした。それは情報と巧みな交渉だ。
しかし、ニコは今回の商売の危険を軽くみていた。隣国セリアまで商売に行くためには船旅がかかせない。その船旅がたまたま順調に行き過ぎたため、ニコの頭からは、船旅での嵐や難破といった危険が抜け落ちていた。
とにかく、早くアン姉の顔が見たい。ニコはそう願い、ラスボンの港町から村まで岐路を早足で急ぐのであった。
――下に続く。