世界の終わりを知る女の子(下)
「――で、救世主であるおれは、どうやったら世界が救えんの?」
「えっと」
「あたしとね……」
イブは視線を泳がせながら、頬を赤く染めている。
「なんだよ」
「……ノボルがあたしとキスするの」
「え!? お前、何言って……」
「二度も言わせないでよ!」
イブの顔は、真っ赤で湯気が立つようだ。イブはその言葉だけ残して立ち去ってしまった。
教壇では英語の教師が教科書を朗読している。
ノボルは、授業そっちのけで昨日のことを考えていた。
昨日イブが言っていたことは本当なんだろうか。
どう考えても理解できない話なのだが――。
「酒井! 酒井ノボル、答えてみろ」
考え込みすぎてノボルは先生の声がまったく聞こえていなかった。
「え? あっ、はい」
突然の指名にノボルは立ち上がる。
『あのセンコー、話聞いてないと厳しいからなぁ』
『転校早々かわいそうにね』
――そんなクラス連中のひそひそ声が聞こえる。
「俺の授業はつまんないか? この英文を朗読して訳してみろ」
先生は睨みつけるようにノボルを見て声をだした。
「あっ、はい」
「For large quantity……」
ノボルはすらすらと流ちょうな発音をし始めた。
そんな軽やかな英語の後、ノボルは間を置かずに和訳してみせた。
――ざわざわ。
『すっごい発音うまい』
『おいおい、あの難しい英文を即、訳したぜ』
『まだ予習とかもやってないはずだろ?』
授業後。何であんなに発音が流ちょうなのか? 何ですぐに訳せたのか? クラス連中は、ノボルの英語力に興味心身だ。
「実は、おれ中学まで親父の仕事の都合でイギリスに住んでたんだ」
「えー、まじで!?」
特にクラスの女子がむらがっている。
「ノボル君すごいね。あたしに英語おしえてよ」
「わたしにもぉ」
突如、ノボルの株価は急上昇した。とりわけ、女子には大人気だ。
そんなわけで、休み時間、昼休みとノボルはずっとクラスの女子に英語を教え通しだった。
そんな姿をイブは横目で見ながらぷいっとした。
イブは、昨日のことが恥ずかしいのか、今日はノボルに一度も視線を合わせてこなかった。
昨日の話はいったいどういうつもりなんだろう。
ノボルは首をかしげながら帰り支度を始めた。
「今日も手紙がはいってる!?」
しかし、下駄箱には可愛らしい女の子を想像させるようなシロモノではなく、昨日と同じ古文で書かれていた。
『すぐに屋上まで来なさい』
この字は……間違いない。
ノボルは屋上に駆け上がった。
屋上の扉を押し出すと、イブの背中が視界に入った。
「……昨日に引き続き手紙でよびだすなよ」
「しかも、めちゃくちゃ汚い字で!」
「……」
イブは振り返って、ぱっちりとした二重がこちらをにらみつけた。
「なんか言えよ」
イブは、突如として唇を動かした。
「あんた世界救う気あんの!? 他の子といちゃいちゃしてる場合じゃないわよ。ちょっと英語ができるくらいでいい気になっちゃって、馬鹿じゃない!?」
「いやいや、昨日お前の方が急いなくなったんだろ? ちゃんと話聞く前に」
「うるさい! うるさい!」
イブは、大きな二重をくしゃっとゆがめて声を発した。
「ノボルがあたしと……キスしてくれなくちゃ世界が終わっちゃうんだよ!?」
イブはうつむきながら頬を染めている。
「っと、とにかく、もうぐずぐずしてる時間はないわ」
「すぐにあたしにキスしなさい!」
イブは、ほんのりと頬を染めて、唇を尖らせて言った。
「おま……」
「世界を救うためなんだからね!? 勘違いしないでね!」
そういうと、イブは瞳を閉じあごを軽く上に突き出した。
イブのふっくらとした唇が軽く開かれている。
瞳を閉じて、あごを上に向けているイブは死ぬほどに可愛い。
「……」
イブはノボルをまっている。ここで答えなければ男じゃない。ってか、こんな可愛らしい唇を放っておく男はいない。
「わかったよ……しちゃうぞ?」
ノボルは唇を近づける。
あと1センチ。まさに唇が重なろうとした瞬間――。
「まったー!!」
男の声がした。
ノボルは、ぱっと体を引きはなして後ろを振り返る。
屋上の入り口からぞろぞろとクラス連中が出てきた。
「ノボルごめん! いやー、実はドッキリでした。みたいな……」
「どーいうことだよ!」
ノボルは顔を下にむけて震えている。
「いや、久々の転校生だから盛り上げてやろうと思ってさ!」
「そうそう、仲良くなるきっかけにね」
他のクラスメイトの相づちが聞こえる。
「それにイブが提案したんだぜ」
「転校生が来るみたいだから、盛り上げてあげようって」
イブの唇が動き出す。
「どうだった? 私の迫真の演技は……」
「ふざけんじゃねー!」
ノボルは怒鳴り声を残して走り出す。とにかく走って走って階段を駆け下りた。ノボルは無我夢中で玄関を出た。
ふと気づくとはだしで校舎裏まで来ていた。
後ろでイブの声がする。
「――っちょっと、はぁはぁ」
「まってよ!」
振り返ると、息を切らして近づいてくるイブがいた。
「本当にごめん!! ノボルを傷つけるつもりはなかったの」
反射的にノボルは怒鳴り声をあげる。
「ふざけんな! 『世界の終わり』とか、キスとかそんなんも全部うそかよ!?」
「ひとを馬鹿にするのも程があるだろ!」
その怒鳴り声に、しゅんと萎れるイブ。
イブは視線を下に向けながらつぶやいた。
「実はね、あんたが転校手続きで学校来てるのを見てね。それでうちのクラスってのが分かったから皆であんたを歓迎するためのドッキリを考えたの」
「あたし達のクラスに転校生って久しぶりだから嬉しくてつい……」
「……」
「本当にごめん……もしかして、本当にあたしとキスしたくなっちゃった?」
「そんなんじゃねーよ!」
「……さっきのこと本当にしてもいいよ」
イブのぱっちりとした二重が震えながらノボルを見上げている。親に叱られた子犬のようだ。その愛くるしい瞳がめちゃくちゃ可愛い。
いやいや、今はそんな事を考えている場合じゃない。
「おまえなに言って……」
柔らかい感触で唇が塞がれた。
目の前に、瞳を閉じたイブの顔がある。
(っえ?)
その瞬間、ひゅっと世界がとまったような気がしたのだ。
誰も見ていない二人だけの時間。
たぶん、唇が重なりあっていたのは5秒くらい。しかしノボルにはそれが何分にも感じられた。
ぱっと瞳を開けたイブは、頬を赤く染めている。
「さっきのお詫びだからね!」
イブは照れ隠しのように瞳をあさっての方に向けながら言った。
「ってか、わたし初めてのキスだったのよ!? ちゃんと責任とってよね」
イブはさらに頬を赤く染めて、口をへの字にしながら言った。そんなイブがめちゃくちゃ可愛いのだが、『世界の終わり』などという訳のわからないドッキリに巻き込まれた上に、自分からキスしておいて責任とれといわれる理不尽さが頭にひっかかる。
しかし、ノボルはそれ以上に心がドキドキしているのを感じた。
そう、理不尽さが吹き飛ぶくらいなドキドキ感を。
「まぁいいか」
イブの赤く染まる頬、震える二重の瞳、柔らかい唇。そんな愛くるしいイブを見ていたら、なんでも許せる気になってきた。
どのように責任とるのかは分からないが責任とってやるか。
「わーったよ。 責任とってやる」
ノボルは、いつまでもやむことの無いのドキドキを感じていた。