6点差から1点差まで迫られた直後の五回2死。141キロ直球を完ぺきにとらえた。弾丸ライナーは一瞬で左翼席中段まで到達。インパクト十分の130メートル弾。「いや、もうホントうれしいの一言。鳥肌が立った。人生で一番うれしい?もちろん」と興奮は収まらなかった。

 高校通算最多の87本塁打(現在は2位)を放ち、ドラフト1位で入団してからは苦難の連続だった。1軍でのチャンスは少なく、あっても打てない。勝負の3年目。開幕スタメンはつかんだが、打撃不振で21歳の誕生日4日前だった4月18日に2軍落ち。その3日後には左ひざ半月板を損傷。そして手術。「悔しかったし、腹が立った」という、野球人生の中で一番大きな挫折だった。

 そんな時、支えてくれたのは母・香織さんだった。2軍落ち直後も、故障直後も電話やメールで連絡をくれた。親子でメル友とはすばらしい仲です。手術後の入院中には仕事を休み、退院までずっと身の回りの世話をしてくれた。お立ち台で中田は「第一に、親にありがとうと言いたい」と感謝の気持ちを伝えた。記念ボールも香織さんに送る。

沸き上がる喜びを表情には出さず、一塁を踏んだ。八回2死、日本ハム・中田が藪田の144キロ直球に無駄のないスイングでバットを合わせた。快音と共に打球は中前へ抜けていった。92日ぶりの1軍復帰戦で復活の一打を放った。

 4月21日に左ひざ半月板を損傷してから約3カ月。「7番・DH」で札幌ドームに戻ってきた。三ゴロ、空振り三振、遊飛。そして中前打。だが笑顔はない。「すごい投手から打ってうれしい。でもここで満足したら去年と一緒」。2軍との往復を繰り返した昨季の二の舞いだけは避けたいという強い思いがある。

 リハビリ中も、夜はほとんどの時間をDVDでのフォームチェックに割いた。上体が突っ込まず重心の低い打撃フォームに修正し、結果も出た。チームは敗れ、貯金が消えたが、フォームも野球に取り組む考え方も変わった中田が、起爆剤になる予感は十分だ。