立ち止まってくれてありがとうございます



関西は程よく晴れ☀
花粉も飛んでますね こんにちは






今日は少し重いお話
父も母も亡くなってるのでね
書かせてね

もう40年近く昔々のお話です

現在とは考え方も違います

ドラマ 不適切にもほどかある の注釈を思い浮かべながらお読み下さい(笑)

デトックスさせて〜







私の1番幼い頃の記憶は母にバンバン叩かれてる場面

定規で手を 手で頬を






幼稚園に入園する前に文字を教えてくれていた

その幼稚園は公立だけど入園式で自分の名札を自分で探し出して取るという儀式があるみたい




その前に名前だけは読めるように 書けるように 出来ればひらがな全部教えておきたい

そんな母の想いがあったのだろう






字を書くと手が汚れる

手の側面って言うのかな。小指側の掌のプニッとした所?伝わるかな?


そこが黒く汚れていくのを母は何より嫌がった





「なぜそんな所が汚れるの?!」

「鉛筆の持ち方がなってない!」

手を 頬を 叩かれる



泣きじゃくるしかない私






(後から気付いた事だけど母の教えてた持ち方は書道の筆の持ち方だった そりゃ筆の持ち方だと手のひらの側面汚れるはず無いよね)

(母はずっと筆の持ち方で鉛筆を持って文字を書いてたのだ 道理で字が上手くなかったわけだ 想像すると書きにくいよね)





入園してからも課題は尽きない

蝶々結び、リボン結びとも言うね


教えられるけどなかなか出来ない


母は武器を変えた

布団叩き

レベルアップだ

  テッテレーだ






布団叩きってわかります?ベランダに干したお布団の埃を振り払うアレですよ
若い世代には完全に沈黙されちゃうね



叩かれると人は無意識に

防御の姿勢をとる

自分を手で 腕で かばう

  本能だ




母はそれに腹が立ったのだろう


かばえ無いようにコタツの脚に私の両手を縛り付けた


もうそれでは学習もリボン結びの練習も出来やしない


叩かれるのみだ


体中に出来るミミズ腫れ

ミミズ腫れなんて言葉自体知らなかった

母のとって私は何なのか

私は母の憂さばらしの道具なのか






上にも下にも兄弟がいたがこの頃 上は小学校に 下はまだ産まれてもいなかった



小学校に入学した

3年生くらいになっていた

まだまだ私は布団叩きで叩かれ続けている

少し減ったけど なぜ減ったのか、文字も覚えたしリボン結びも覚えたし計算だって出来る 塾にだって行きだした

だからだと思ってた

後からこの不思議が解明される




休み時間や学校終わり

お友達と担任の先生と少しおしゃべり


凄く楽しくてケラケラ笑って
その時お友達が言った

「〇〇ちゃん、ソレどうしたん?」

ミミズ腫れを指さして聞いてくる

マズイ、と思った

先生に怒られる

小学生の私はなぜかそう思ってた


「うん コケてん」
それで話は終わった
良かった~先生にバレへんかった〜

今思えば変な話
なぜ怒られると思ったのか

そもそも目の前にミミズ腫れだらけの子供がいるのに先生は無反応

家でスゴく悪い子だからしつけされてると思ってたのかな




幼稚園の時もそうだった

ミミズ腫れが見えるから制服の夏服が嫌だった



その幼稚園に行ってる近所の子供が集合してソコにバスがお迎えにくるよ

先生 バスの運転手さん 子供のママさん達

誰も何も言ってこないのでバレて無いんだと思ってた

無邪気って無知って幸せ



小学校から帰る

泣き叫ぶ声がする

下の子がやられてる

テーブルに縛り付けられて布団叩きで叩かれまくってる

プニプニの柔らかい腕がミミズ腫れで赤くなってる




あぁ~だから自分は叩かれる頻度が減ったのだと理解する


封印してた覚えてないフリしてた記憶が全部よみがえる



我が家はこの少し前に隣街に引っ越しをしてる

大人になって父に聞いたのだが駅から歩いて帰ってくると曲がり角を曲がった途端私の泣き叫ぶ声が聞こえてたそうだ

それがご近所に恥ずかしくて引っ越ししたらしい



そう

母は新しいおウチでしつけを始める前必ず家中の窓を閉めた

そういう事だったのだ





少し続きます

イヤになっちゃったかな


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過去のことです





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