『…何をしてるんですか?』
ハンスは、背中の傷の痛みに顔をしかめながら、そう尋ねました。
ハンスの目が覚めるまで、出航を見送っていた船は、出航に向けて、慌ただしく動いていました。
そんななか、いつまでも寝てはいられないと、ハンスも早速荷物運びに加わっていました。
それに、自分の怪我のせいで、出航が延びたことをハンスは申し訳なく思っていたのです。
しかし、背中の傷はまだ、動くたびに鋭い痛みが走りました。
荷物を運ぶハンスの眉間には、深いしわが刻まれています。
そんななか、ハンスの前に現れたアイリーンの出で立ちに、ハンスの眉間のしわがますます濃くなりました。
『…いったい、どういうつもりですか?』
「似合うだろう?」
そう言って、アイリーンはニヤリと笑いました。
ハンスの問いは、宙に投げられたようです。
「どうだい?
エレガントかつ、セクシーだろ?」
顔をしかめるハンスの前に立つアイリーンは、赤茶けた長い髪を美しく結い上げ、深いボルドーのドレスに身を包んでいました。
その姿からは、普段屈強な男たちを大声で叱りつけていることなど、想像がつかないほどです。
今ならアイリーンが、上流家庭の出身だということも、頷けました。
「こんなこともあろうかと、作らせといてよかったよ」
あっけにとられるハンスの目の前で、アイリーンは、得意気にポーズを決めて見せます。
『ハァ…
今度は、【甲板の上で舞踏会】…ですか?』
ハンスは、深いため息と共にそう尋ねました。
「バカッ!!
んなわけないだろッ!!」
ハンスの言葉に、アイリーンの平手打ちが飛びます。
『ッ!!』
「イタタタッ…」
アイリーンの容赦ない背中への平手打ちで、ハンスは堪らずしゃがみ込みました。
ただでさえ痛む背中の傷に、アイリーンの平手打ちが炸裂したのです。
平気でいられるはずは、ありませんでした。
《……何をしているんですか?》
激痛にしゃがみ込むハンスが顔を上げると、目の前には、あきれ顔のロジャーが立っています。
《ハァ…
傷口が開いたらどうするんですか?》
そう言って、ロジャーはハンスのシャツをまくり上げ、背中の傷を確かめました。
《…ああ、大丈夫そうですね》
ロジャーは、安堵したようにうなずき、アイリーンをジロリと睨みます。
《全く…、僕の仕事を増やすのはやめてくださいよ》
「ハハッ…わるいわるい
傷のこと、すっっかり忘れてたよ!」
アイリーンは、顔の前で両手を合わせ、謝りました。
《ハァ…、貴女は大丈夫ですか?》
そう言ってロジャーは、アイリーンの手を取ります。すると、アイリーンの両手の指先に、白い包帯がいくつも巻かれていたことに、ハンスは初めて気がつきました。
『…怪我したんですか?』
指先に巻かれた幾つもの包帯を指差し、ハンスが尋ねます。
すると、アイリーンは嫌そうに顔を歪め、慌てて両手を後ろに回しました。
「何でもないッ!!」
《そうそう、大丈夫ですよ?
…ククッ…ほんの小さな傷がいくつかあるだけですから》
ロジャーは、吹き出すのを必死にこらえているようです。
そんなロジャーをアイリーンは、忌々しそうにジロリと睨みつけました。
「あんたは一言二言多いんだよッ!!
だいたい、あんたが何でも器用に出来すぎるんだ。
ほんっと、可愛いげのないガキだよ!!」
《ビッグ・マムが不器用なだけでしょう?》
そう平然と言い返すロジャーに、アイリーンはますますカッカッして、今にも掴みかかりそうです。
『まッ、まあまあ…』
ハンスが慌てて二人の間に割って入りました。
『とッ、ところで…
どうしてロジャーまで、そんな格好なんだい?』
ハンスは、アイリーンと同じく、正装しているロジャーの姿に、首を傾げます。
「招待されたんだよ!
結婚式にね。」
『結婚式!?
……ああ、そうか!
そういえば、今日でしたね。』
アイリーンの言葉で、今日がアナの結婚式だったことに、初めて気づいたハンスは、納得したように頷きました。
《ビッグ・マム、早く出発しないと…》
「ああッ!
そうだった!!」
ロジャーに促され、アイリーンは、ポカンとしているハンスの腕を掴み引っ張ります。
「ほら、行くよッ!!」
『ちょッ、ちょっと!?
僕も行くんですかッ!?』
突然のことに驚くハンスを、アイリーンはお構い無しに、ぐいぐいと引っ張っていくのでした。