革命と共に、ニコライ2世とその家族は銃殺され、

数百万人から一千万人と言われる

ロシア民衆の粛清が行われた。

 

ロシア革命はロシア皇帝の圧政に立ち上がった

ロシア民衆によるものというのが定説だが、

それならなぜこんな大規模な粛清が必要だったのか、

説明がつかない。

 

ユダヤ革命に反発するロシア民衆を弾圧した、

と考えると納得がいく。

 

トロッキーが政権をとって最初に行ったことは、

人民から金(ゴールド)を供出させることだった。

 

共産主義国家では金の私有は禁止される、

というのが表向きの理由だったが、

ロマノフ王朝から取り上げた財宝と共に、

革命に資金援助をしたユダヤ財閥への

返済に使われたのだった。

 

ロシア系ユダヤ人で、アメリカのオクシデンタル石油会長の

アマンド・ハマーもロシア革命を支援し、

 

革命成功後にはすぐにレーニンを訪ねて

アメリカの穀物やトラクターなどを売りつけ、

ビジネスを始めている[2, p35]。

 

革命や戦争はユダヤ資本にとっては、

絶好の収益機会なのである。

 

 

■5.ルーズベルトの親ソ政策

 

革命後のソ連とアメリカの奇妙な友好関係は、

国際ユダヤ資本という共通項に

着目すると謎が解けてくる。

 

アメリカのフランクリン・デラノ・ルーズベルト

民主党政権は1933年にソ連を承認した。

 

それまでの4代の大統領は、共産主義が

アメリカに浸透することを恐れて承認を

拒否していたのだが、それを覆したのである。

 

ルーズベルトの家系もユダヤ系と言われている。

母親の実家デラノ家は19世紀にシナにアヘンを

売り込んで世界的な大富豪にのし上がった。

また、夫人のエレノアは社会主義者だった。

 

 

ルーズベルトは大恐慌に際して、

ニューディール政策で経済のてこ入れを図った。

 

この政策自体が政府の大規模公共投資という

社会主義的な性格を持っていた。

この時も、政府に資金を貸し付けて

大儲けしたのは国際資本だった。

 

ルーズベルト政権に多くの共産主義者が入り込み、

その政策を親ソ反日にねじ曲げていった様子が、

近年公開されたアメリカの機密資料・ベノナ文書

などで明らかにされている。

 

当時、日本はソ連と敵対していた反共国家だった。

日露戦争の時に反露親日だった米国は、

ロシア革命を機に親ソ反日に転換したのである。

 

独ソ戦が始まると、ルーズベルト政権はソ連に対して

凄まじい軍事支援を行った。

 

航空機1万4千7百機(零戦の全生産量に匹敵)、

戦車7千両、装甲車6千3百両、トラック37万5千台、

ジープ5万2千台という規模であった[c]。

 

これも単なる親ソ政策というだけでなく、

これだけの生産をして儲けたのが誰か

を考えれば、十分納得がいく。