こんにちは。吉野のお話の続きです。

 

吉水神社の書院を拝観しましたが、とても興味深いものが多かったです😊

 

後醍醐天皇が南朝の皇居としてお住まいだった場所というだけでも、かなりワクワク

しましたが、なんと源義経が静御前や弁慶とともに潜んでいた場所でもあったのです。

 

 

兄の頼朝に追われる身となった義経は、静御前と吉野山へ逃げたという話は覚えている

のですが、こちらの吉水神社(当時は吉水院)に身を隠していたそう。

約800年前と考えると感慨深いですよね✨

 

義経がいたとされるお部屋

 

弁慶思案の間。ここで弁慶がお側に控えていたのですね。

 

女人禁制の大峰山へ入山する前に、義経はここで愛する人と最後の別れのひとときを

過ごしたと伝えられています。

男性陣は山伏に変装して逃げるため、鎧や兜などはこちらの吉水院へ置いていったそう

です。

 

「吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」という静御前の歌が

残されていますね。

 

義経はそののち、奥州平泉の藤原氏の元へ身を寄せますが、裏切られ弁慶とともに都から

遠く離れた地で最期を遂げたのは皆さまご存知の通り。

 

身重だった静御前は幕府方に捕まり、鎌倉に連れて行かれました。

鶴岡八幡宮だったかと思いますが、頼朝の前で舞を舞うように命じられ、義経を慕う歌を

詠んだため、頼朝は激怒したと伝えられていますね。

 

「しずやしず しずのおだまき 繰り返し 昔を今になすよしもがな」

 

北条政子の嘆願もあり、母親の命は助けられたということになっていますが、一説に

よると子供は男児だったので由比ヶ浜で命を奪われたとのこと😢

頼朝は平清盛に助命されたのに、身内には厳しかったのですね、、💦

 

 

話を元に戻しまして、、。

 

ここは後醍醐天皇がおられた部屋。どんな思いで過ごされていたのでしょうね。

 

玉座の間

 

 

太閤秀吉の花見の居間。秀吉は後醍醐天皇を偲んで建物の修繕や寄進を行ったとのこと。

 

源義経と静御前。静御前はもともと白拍子でした。

 

ここから先は、たくさんの調度品が陳列されています。

 

右端の羊皮太鼓は後醍醐天皇の持ち物。中央の琵琶は、百人一首の歌でも有名な蝉丸の琵琶

 

楠正成公の所持品、毘沙門天の小さな銅像。

 

弁慶の槍

 

若かりし頃の後醍醐天皇の肖像画など

 

秀吉の寄進した屏風絵。狩野山雪作「竹の図」

 

同じく秀吉の屏風絵。狩野永徳作「桜の図」

 

後醍醐天皇の硯などの持ち物

 

 

一休さんや、水戸黄門で有名な水戸光國公の書など

 

義経の鎧

 

静御前の鎧や、義経の家来の兜など

 

楠木正成公には3人の息子がいましたが、その家系図も!

 

室町時代の能面

 

こちらはレプリカですが、秀吉が約5000人の部下とともに盛大な花見をした様子が

描かれています。奥の釜は秀頼公が寄進したもの。

 

これだけの素晴らしい文化財を一度に見られて感動しました☺️

 

またまた長くなりましたので、後編へ続きます。

次で終わります(・_・;