私は世界遺産番組を見るのが趣味で、大抵のは観ている。

去年の春ごろ、NHKの今は無き「探検ロマン世界遺産」のSPで
「負の遺産」アウシュビッツと、ヒロシマを取り扱ったのを観た。


ちょっとだけ話はそれるけど、さいきんの映画とかドラマSPの
宣伝文句に「家族愛」が必ず入っていることに違和感を覚えてきた。
だって、家族愛がテーマじゃないドラマ(戦争やいじめ、大きな災害や
悲劇的事件や犯罪のでも)だったとしても、「家族の絆」とか「家族愛」!
連呼される。特に民放のドラマに多いと思う。


もっと怖かったり惨かったりすることや、思想的な流れになるのを避けて

そうなるのか、後味が良くなるように感動ねたでごまかしてるのか…

いや分かるんだけど、もちろん、大事なことだから。
時々、無理やりな演出もあったりして、なにか違うような気がしていた。


話は戻ると、世界遺産SPにヒロシマで被爆した韓国の人が出てきた。
その人は女性で、その一瞬に2人の子供を失い半身に大火傷を負い、
せめて故郷で死にたいと国に帰ってみると、あまりの変貌に
家族さえも分からず化け物だと思って戸を閉められたという。
今は、ひとり残された子供の家族と暮らし、番組内で、
その孫娘と共に広島を訪れる。
現場の橋に立ち、夢中のように体験したことを話す老婆。

夕刻、原爆ドームを眺めながら孫娘が話す。

『今は、以前よりももっと家族が大切に思えます。

 おばあさんはひどいヤケドをしたんだ、としか思っていませんでした。
 でも現地に来てみて、より家族の大切さが身にしみます。

 人はみな、見知らぬ隣人でさえも家族だと思うべきです。
 家族がこんな目にあったらどう思うか、考えるべきです。

 原爆を落とした人はその時そんなことは考えなかったんでしょう。

 でも今は本当に皆が家族だと思わなければならないと思います。』

原爆のことを、初めて知った外国の女性がこんなふうに語ることに驚いた。
そして、自分を恥ずかしく思った。

そうか。そうだよね。あたりまえの大事なことだよね。


アウシュビッツのパート。
ポーランドのこの収容所を脱走した人が出てきた。80も過ぎた男性。
100人近くで脱走したのに、逃げおおせたのは僅かに5人。
…しかも、その報復として300人もの仲間が殺された事を後に知る。

男性はある村にたどり着いて、そこである家族の納屋に匿われる。
命がけのその行為によって助かった彼は、番組内でその地を訪ね、
当時は少女だったその住人の一人と再会する。
少女が彼に食事を運ぶ役だった。
80歳となったおばあさんは、「この人が生きていてよかった」と言う。

男性は語る。

『私は、ここでもう一度生んでもらったのです。この村で。

 みなさん、この人の存在こそが、

 「人間は信じられるか」と言う問いの、答えです。』

なんという言葉だろうと思った。
もう絶望とか、恐ろしいとか悲しいとか怒りとか、もうそれどころ
じゃない思いをして、酷い体験をして、
「自分の居場所は、壁のある場所、安全な場所などには何処にも無い」
と、そんな思いまでして、なのに、それでも、
なんで、どうして、人を信じてくれるのだろう。

信じてくれてよかった。救ってくれた人が居てよかった。
彼の命、なによりも心を最後のところで救ってくれた運命に泣いた。

そして、信じてくれて嬉しい。とか。
せつなくて申し訳なくて悲しい。心に残った言葉だった。



番組は、最後にこういう風に結ばれる。

「負の遺産は、人間の悪意が記録されている場所ではない。」

広島にしろ、アウシュビッツにしろ、いちど人間を否定された土地を、
忘れてはならないという人々の善意によって保たれることこそが、
大切な遺産、「世界遺産」なんだと。