今日は、通勤車内のラジオで「サボテンの花」の誕生秘話をやっていた。



「一つ屋根の下」で大ヒットになった曲だけど、誕生した当時(1975年)にはひっそりとした反応。
といっても「ベスト10に入らなきゃヒットじゃない」みたい時代だけど。
ちなみに、財津さんの詞ではっきりとモデルにした事(彼女)がいるのは珍しい例とのこと。

最後に「ラララララ…」という箇所があるんだけど、当初は業界の人にも
「悲しい歌なのにララララ~と楽しそうなのはおかしい」と言われたらしい。

財津さんは、ララララ~が楽しそうだとは思わなかったし、
悲しい歌に楽しげな雰囲気は変だとも思わなかった。
だからビックリしたし、しかし実際に売れなかったせいで反論も出来なくて、
きっと悔しかっただろうな、とアナウンサーは言ってた。

「それまでは親世代の演歌の世界ですよね。スカッと晴れたら気持ちいい上機嫌。
 そうじゃなくって、晴れた空を見て悲しい気持ちになる、戦後世代のそういう気持ちと、
 両方に片足を突っ込んで股が裂けそうだった。(笑)」と語っていたと。

ところで。わたしはそれこそ15年も前から不思議なことがある。
「居なくなる人はどうしてサボテンを残していくのか?」

だって、チューリップの「サボテンの花」でも、

ポルノグラフィティの「サボテン」でも、

B'zの「孤独のRunaway」でも(このスライドショーいいなwww)、

彼女(彼)がなんとなく突然に出て行った後の部屋にはサボテンが残される。

なんでだろうね。あのトゲトゲがいいのかね。