mutual love自分とも人とも両想いになることmutual respectおたがいに尊敬し合うこと自分の心をほどいていくことで、人ともゆたかな絆を結んでいけます。その架け橋になるヒントをお伝えしていきます。
今年のGWは、飛び石連休ですが家族に先駆けて、休暇を取った今日待望の『美女と野獣』を見てきました色々な方が、すでに素敵な感想を書かれていてみなさまの文章力に、感動・共感しきり!わたしも例にもれず『美女と野獣』大好きです…初めて観たのが、もう25年前だなんて驚き!まだ恋とか愛とかあまり興味のない中学生になるか、ならないかの頃にこのアニメーションを観ました。ただただ、賢くて潔く自由と冒険を求めるベルに憧れて…それから時は経ち今から10年前、自分の結婚式ではお色直しで迷うことなく、黄色のドレスを選びました結婚から10年の、このタイミングで『美女と野獣』実写版が公開されたのは本当にタイムリーでした。アニメもよく字幕版で観ていたので今回も、字幕版で。歌もすべて、当時のままで耳馴染みのいい英語と、時々交じるフランス語。(ルミエールが「シルブプレ」って言ってたり🎵)当時から舞踏会の場面が大好きでした♡映画が始まると初っ端から、訳のわからない言葉にできないほどの涙があふれて上映中、ずっとすっとボロ泣きでした。大好きなアニメがリアルな人間の表情で描かれているというその感動はもちろんのこと野獣の心の機微の一つ一つが細やかに伝わってくるたびにわたしの中の何かが震えてしまいました。そして、映画に登場したセリフDon't be afraid. (恐れるな)その言葉が何度も何度も胸に響きました(ここからは、わたしなりの解釈です)恐れという幻影によってわたしたちは真実を見失ってしまいます。それは、過去の経験などで傷ついてしまった心を感情の中に封じ込めることで生まれるもの。傷ついた心はもう傷つきたくないと必死に心を守ろうと自分で自分に「呪い」をかけるのです。どうして魔女は王子様とお城に呪いをかけたのか?今回の映画では、アニメに比べて人間性がより深く描かれていますが野獣は、野獣になる前の王子様の時から「僕は、一番欲しい愛を得られない」という「呪い」を無意識に自分にかけていたのでは?魔女はそれに気づかせるために「美しさも醜さも超えて、真実の愛を学ぶ」そんなわかりやすい呪いをかけたのでは?そんな風に、わたしは解釈しました。わたしたちの人生で起こるすべてのことは自分を守るための無意識の呪いに気づかせるために起きているのだとしたら。その「呪い」を解く魔法の鍵はやはり自分の心の中に隠されているのだろうと思います。「美しい」という意味の名前を持つベルも「醜い」代表のような野獣も閉じ込めた感情を受け入れて人と違う自分を本当の意味で愛せたときに無条件の愛という名の鍵が呪いを解いてくれるのでしょう愛と恐れは共存できません。何かを恐れているとき、人は愛を見失う。けれども、恐れと向き合い、乗り越えたとき人はもともと内側に持っていた愛に気づき愛そのものとなる。そこには、どんな恐れも入り込めない。『美女と野獣』を観て改めて気づかされました。若干、ネタバレになっていたらごめんなさい…お読みくださりありがとうございます♡
最近、本業が忙しいながらもプライベートでも、充実している4月。家族や兄弟、憧れの大好きな人たちとつながりを感じられる時間をじっくりと味わい、感謝する日々です。先日は、念願だった田宮陽子さんの「わかちあいの会」にも参加することができ心の洗われるような時間を、過ごさせていただきました。その「わかちあいの会」の中でわたしにとって印象的だったテーマのひとつが「魂仲間を見つけること」でした。それも、友達になろうとするのではなくまずは「仲間」になること。興味とあることに沿って数人の仲間を作ったのですがそのグループの方々とは同じ職種だったり、同郷だったり…不思議にもつながりがあり宇宙の流れに乗っていることをあらためて実感しましたわたしたちが生まれてから出逢う家族・配偶者・こども・友人・メンター…そして、もちろん魂の片割れも…出逢うことを前もって決めてきて宇宙の采配があって出逢えた存在。約30数年前のこと生まれたばかりの、わたしの写真を今は亡きおばあちゃんが「本当にめんこい子だ」と地元の新聞に送ってくれたそうで。生きるのが本当に辛かった20代の頃その話を初めて耳にした時どれだけ救われたことか。「ああ、わたしがこの世に生まれたことを喜んでくれる人が、ここにいるんだ」このおばあちゃんの孫で良かったと今も感謝しかない。ところで、わたしが人生の使命だと思っていることのひとつが「大きな環をつくること」なのです。1年前にヒプノセラピーの中でわたし自身が発した言葉でもあり夢の中で、ハイヤーセルフらしき声から「大きな環をつくるのです」と言われて「はい」と返事したり。どういう意味なのかずっとわからずに来ました。なんとなく感じるのは「大勢の人を集めるのではない」ということ。仲間は数人でいい。少人数の仲間が、いくつもあるのがいい。今ふと思いうかぶことは「大きな環」=愛の循環なのかもしれません。人生では、誰しも物事の両極を体験します。仕事で、成功や失敗を味わったり家族の中で、愛も孤独も経験したり人の生死に、大きな影響を受けたりと。愛する人との出逢いで味わう希望と絶望も、そのひとつ。それらの両極の体験の中で光も闇も味わい感情に翻弄されることもあります。苦しみや悲しみの原因は今起きている出来事のせいなんだと思うこともあります。でも、それらの光も闇も必要だから存在しています。もともとはすべて内なる宇宙の中で起こっていること。以前ある場所で「人は生まれる時に、ロウワーセルフを刺激する環境を選んで、生まれてくる」という話を聞いた時、衝撃でした。だから喜びだけでなく逆境や苦しみも魂には必要だから存在するそしてその苦しみ=ロウワーセルフは必ず、ハイヤーセルフによって癒すことができるものであると信じることも重要なこと。ローワーセルフの視点で見ると負の連鎖にしか感じなかったことがハイヤーセルフの視点から見たら実はそこに、愛が循環していたそういうことは人生ではよく起きうると思います。さっきの話に戻るなら「わたしなんか生まれてこなくてもよかった」と、ロウワーセルフが思っていたとしても「生まれてきてくれたことを喜んでくれた人がいる」と知ることだけでハイヤーセルフが、瞑っていた目を開き起きたこと自体は変わらないのにそこには確かに、愛があったことに気がつくことができます。わたしは、生まれてくる子どもたちの人生に大いなる愛の循環を生み出したい。子どもたちが経験する喜びも痛みもすべては愛の循環の中で起こっているのだと子どもたちが感じながら成長できるようにわたしたち大人が子どもたちを愛をもって受けとめられる社会のしくみを作っていきたいのです。親御さん、産婦人科医、助産師、保健師、小児科医、歯科医師、看護師、保育士、幼稚園や学校の先生、指導員…それらの子どもたちを守る立場の人たちの力を結集してひいては、社会全体に大いなる愛の環を作れたなら…!逆に、これだけはしてはならないのは子どもたちが自然に経験するはずの葛藤や痛みを大人が先取りしないこと。つまり過保護や過度なしつけはしてはならないのだと思います。大いなる愛の環をつくること新しい地球の子どもたちのために生きてゆくそれがわたしの使命そう思っています。児童擁護施設や入院児の病棟保育なども見てきています。自殺未遂した親御さんのお子さんも保育園でお預かりしたこともあります。もちろん綺麗事だけではつとまらない。最初の仲間を作る話から話がだいぶ飛躍しましたが…今だから、書きたいことを思うがままに綴ってみました。先日、田宮陽子さんとお話しした際に「何している方ですか?」と聞かれ「保育士です」と答えると「あなたは、その教育的なことをステップに何か他のことをしていく気がします」と仰って頂き、とても嬉しかったのです。そして、ずっと置き去りにしてきた「大きな環をつくる」という使命のことをあらためて思い出したのです。これこそがわたしが目指す一番星お読みくださりありがとうございます♡
愛、あい、Love世界中で使い古されてきた言葉なのに、永遠に色あせることのない言葉。「わたしはいっぱい愛を持っている」ずっと忘れていた、真実。そのことを、やっと思い出しました。「愛するために生まれてきてるのだから、それを抑えることはないの。愛は、外側に求めなくとも、ちゃんと自分の中にあるんだよ」わたしの中の、わたしの声。ずっと望んでいる愛を、まずは自分が自分にたっぷりと与えていこうと思います。すべては、もう一人の自分のような、大切な人と出逢ったことから始まりました。わたしもあなたも愛しています。ありがとう。viaMake it my life to Love Your own website,Ameba Ownd