以下の記事は、過去記事です。ストーカーが古い過去記事から遡って、あまりにもひつこいのでの、再登校です。
今頃???ですが、訳あって、再投稿いたします。申し訳ありません。何故そうするか、わかる方がいらっしゃればありがたいです。
ストーカーさん、ようこそ!私は失うものもなく、誰も恐れることはもうありません。
(ご興味のある方はcomment欄へどうぞ)
不愉快な思いをなされた方におきましては、大変申し訳なく思っております。すみません。
赤いキャンドルを飾るモザイクを施したガラス瓶が、ヒステリックに投げつけられて、
家の白い壁に粉々に砕け散った。
ステンドグラスに似た造りのキャンドルグラスは階段から玄関に続くホールに、見事に粉々に砕け散っていた。
はるかがやりどころのない怒りに任せて、私の一番お気に入りだとわかっていたものを、真っ白な壁に投げて破壊したのだ。
壁は漆喰で白かった、。
くだけ散ったガラスの破片は、血のように深みを帯びて紅かった。
それははるかの身体に流れる紅い血・苦悩を現していたのかもしれない。
でも、その時の私は、愚かにも、これは母親に対する脅迫だと感じていた。
リストカット、オーバードーズ、自殺未遂、暴言、凶行、それらを私の眼の前でさえもするはるかだった。
止めることができなかったのは、何が足りなかったのだろう。
そんな中で私はパートナーの協力も全く得られず、家族や親とも切り離され、孤立していた。小さな可愛いうちの中で、ひとりぼっちで、娘の心の病に、言葉なくひとり対峙していたと思う。
あんなに可愛かったはるかが????????
なぜ??なぜ??なぜ?????
でも、対処のしようもなく、わたしはどんどんと、暗闇に落ち、逃げ道を探すようになった。
それは、生きねばならぬと、どこかの誰かから言われるような感じで、逃げ道を探し、わたし自身が潰れることから逃れる努力をした。
それが良かったのか悪かったのか…
私はこのままでは潰れてしまう。
「死ぬわけにはいかない、それだけは避けよう」という思いで、ずっとひとりでもがいていた。
ムスメの症状はある時は劣悪で、また、時間をおくとごく不通の優しいはるかに戻ることもあった。
そこに安心してはいけなかったのだ。
私は病気について、もっと学習すべきだったのだろうか。
最終的には娘は自分で終わりを決めてこの世を後にした。
私は、まだ若い頃に作った陶器の招き猫と招き兎のかなりの大きさの置物があった。
縁起がいいものとしてつくったし、気に入っていたので、ずっと玄関の中心に二つ揃えて飾っていた。
しかしそれには隠しておかなければならない苦い思い出がべったりとはりついていてた。
早く捨てればよかったのだ。
でも、トラブル続きで、捨てる余裕もなく、元家からこの家に運び込んだ。
ものは少しずつ片付きはじめ、その兎が目につくようになった。
捨てるのは少しかわいそう、でも、ずっと持っておくものではないと思っていた。
心友に話すと、そんな怖いもん、はよ捨てと言われが、少し迷いがあり、
そして、カレがきたら、その私の迷いを話して答えを問うてみようと思っていた。
だけど、いつも忙しげにしているカレには、話しかけるキッカケを持つことができず、
行き場のない、苦しさから、私はそのウサギを自分で玄関にうち投げて、壊した。
冒頭にはるかのやりどころの怒りと書いたが、
これは同様のものなのだろうか??
わからない。
はるかがなくなって、3年半ほど過ぎた。
亡くなった当初の頃の悲しみは、大きなガラスのかたまりをいつもザクザクと刺されているような生々しい痛さだった。
3年半たって、悲しみはなくならないが、小さな小さなガラスの破片が身体のあちこちにまだ残っていて、もうそれは取り除くことはできず、ときおり疼き、涙を誘う、そんな風に心身が永久にガラスの破片と一体化したような形に変わっているように私は思うようになった。
形あるものはいづれ壊れる。
私たちだって、この命はいづれ終わりが来る。
モノに執着して何があるというのだ。
1番大切な娘を先に亡くしたというのに。
今更、何も恐れるものなど私にはない。
何にもない!!!
はるかの本できました。
➡️こちらです http :/kopeka.thebase.in/