3年経って、
最近の私は、死んだら終わりかもしれないと少しずつ、死生観が変わってきた。
天国も地獄も想像上の世界でしかない。
肉体は消えても、魂はあるという考え方もあるが、それもあやふやなことである。
ただ、生きてその人を見知って思ってる人の心の中では生き続けてる、そんな風に思う。
愛してたからこそ、悲しい痛い悔やむ。
悲しんでたらあかんとよく言うけれど、それは違う。
嘆き悲しみは、当然のことだ。
たくさん思い、たくさん偲んで泣く。
それだけたくさん愛してた証し。
そして、亡くなった人の事に限ったことではない。
何か一生懸命取り込んだことが、うまく行った時、ものすごく疲れていたけれど、ある瞬間に心がほっとした時、がんばって、緊張の糸が解けた時も、泣ける時がある。
不思議とドキドキ心の中が波打つ。
「一生懸命生きる」「真剣に何かに取り組む」「人を深く愛する」ってそんなことのように思う。
もし、たとえ、信仰や祈りがなかったとしても、私たちの命や暮らしにそんなに影響はないだろう
宗教も、墓も、仏壇も何もない人もいるというのに。それでも、死んでも何も変わらないだろう。変わるとすれば、それは残された方の気持ちだけが少しだけ違っているんだと思う。
どんな偉い人だって、皆、変わりなく骨になって、土の中にもどるだけ。
信仰は時として、生きてる人の心をおだやかにするが、それは亡き人の為とは私は思えない。
信仰は生きてる人間のためのもの。
人間が考え作ったものでしかない。
祈りは、思い。
深い必死な思いは、悲しみを、何かに変えるエネルギーを持っているような気もする。
どうだろうか……。
「はるかの絵の本」復活しました。(o^^o)