はるかが、この世から飛び散ったのは、3年前の2月11日

 
心友のチオちゃんがなくなったのは、1年前のそのひと月前の1月11日
 
東北大震災は、その数年前の 3月11日だった。
その頃はるかは、反抗期の酷い時期を終了したかに見え、心穏やかで少し幼く、儚さを漂わせた優しいはるかが、私のそばにぴったりいたのに…そのひと時の異様とも言える静けさに私は何にも気づいていなかった。
………母親として、語るものが見つからない。
あの時も、そのずっとずっと前だって、あの子は何らかの心の病いに侵されていたというのに。
何もわからなかった母親、名前だけの鈍感な母親。
 
 
チオの誕生日は、8月4日
 
私の息子の誕生日もまた、8月4日
 
二人の苦しすぎる病気も最終的には同じものだった。(息子はほぼ治療が功を奏していると思う)
 
 
私の誕生日は、8月12日。
 
私は、できることなら、飛行機で、苦しみが一瞬で終われる(だろう)墜落死という形で死にたいと何の不幸にも直撃してない、まだ若い頃から、何故だかそういう最期を願っていたが(実際には難しい事だ)、実はわたしの誕生日は、8.12.   あの日航ジャンボジェット機が御巣鷹山に散った日だ。
 
 
私が今、もっとも必要とする人の父親の誕生日は、たしか、8.12、何故かわたしの誕生日
 
そして、その人は、あの8.12のジャンボジェット機に搭乗予定のはずが、その前に昼食をとろうと飛行機を1台遅らせたことで偶然にも、助かったという。(さんまさんと同じ。)
 
8.12は、この世に生まれてありがたい日であると同時に、いろんなことを考えさせられる複雑な1日である。
 
 
はるかの命日、2.11は、最近知ったところでは、その人のお母さんの誕生日?も同じ日と聞いた気がするが、もーわりとどうでもよくなってきた。十分な気がしてきた。
 
ここまで続くと、もうどーでもいいような気がすると言いながら…???&やはり???は拭えない。
 
普段、私は、数字には、全然こだわっていない人間なんです。あえて言うと数字に関する興味もほとんど無く、記憶力も標準より物凄く劣っている事は否めない。
でも、こうして、1/11 .2/11. 3/11.8/04. 8/12とズラ〜っと、並べたりすると、わりと複雑な気分になる。
 
 
自死遺族でありながら、月命日、誕生日、死んで何日経ったとかは、私はほぼ、ほとんど気にしていない方だと思う。
 
いない者はいないのだから、いろんな数字を数えたって、私は仕方ないと頭で考えている。ただし、感情は別だと最近わかってきた。
 
死んだのは分かっているから、私の心は「帰ってきて」とか「会いたい」とかの気持ちもあんまりないかもしれない。
恋しい、切ない、苦しいという気持ちは大きい。
過去には戻れない事は嫌という程、もうわかっている。
 
毎日が苦しみとのたたかい。
 
ごまかしながら生き延びるのも、それはそれで良しと思う。
 
ごまかしはある時、効き目がある。永久でなくとも。
人は皆、少しずつの時間の積み重ねで生きているから。
 
生きなきゃ。
 
チオちゃんと同じことは私はしない、できやしない。
 
 
数字の不思議をすごく感じるけれど、別にそれは解答ではない。
 
 
不思議はふしぎ。ただそれだけ。
 
それもおもしろいと感じればいいとおもう
 
 
 
 
 
「はるかの絵の本」できました。
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数字なんかどうでもいいと、思うよ。はるかたん。ずっとそばにいて欲しいけど、はるかはモテモテだから、どの世界でも忙しいかもだね。
おかあたんは、さみしいよ。ものすごーくアンタを独占したい。独占したいの。