私は、人生後半に差し掛かってから、わずか2年の間に大切な人を3人、自死により亡くした。


娘を亡くした時、まだその頃は定時の仕事してたのと、たぶん神経が麻痺してる感じもあったように思える。それでどうにか生き延びてきたけど、本当の心の中は、ジェットコースターのように振り回されたようにグチャグチャだった。


その後も、なんでなの、友達が、ポツン、、ポツン、、、と二人も!消えてしまった。

娘の月命日は11日なので、昨日でちょうど2年と10ヶ月になる。


苦しくてどうしようもない時は今も時々あるけど、
死なれへんし、私には多分まだ「生きる欲」が残っている。

シアワセを感じる心もまだ持っている。

どうにかこうにかがんばっている。



ここ最近、不思議なことに気づいた。


毎日毎日、思い出さない日はない。
朝起きてから眠りに落ちるまで、そして眠った後でも残影が存在し続ける。
彼女達が生きていた時より、なくなってからの方が、寝ても覚めても彼女達は私の心の真ん中に住みついている。

それがいいのか、悪いのかは、別にして、とにかく、心の中をいつも占領しているのだ。
(私の場合は、子供が先に亡くなった逆縁だから、余計そうなるのかもしれないが、、、)

花を見てもきれいと思うより、悲しい。美味しいのを食べても美味しいというシアワセを感じながら、何であの子はおらんのやと。同じく年頃の女の子が視界に入っても目を背けたくなる。子供連れの幸せそうな親子連れを見てもチクリとする、テレビで懐かしい歌が流れても、何しても悲しい事がある。

遺された遺品を見つけても辛い、はっきり言うと時には、邪魔なのに、捨てることもできない。彼女らの服を着て歩く時、これからもいつも一緒だよ〜などと薄っぺらく自分をなだめても、虚しさは消えるわけではない。

ただ、
こんな経験をして、
最近わかり始めたことの1つに、

なくなってからの方が、彼女達の存在が生きていた時よりも、確実に大きくなっているという事である。

ヒトによるのか、わからないが、

私の親しい友人も同じようなことを話していた。



以下、友人との会話。

〜母が亡くなってからの方が、確実に大きくなってるのよね〜

〜ずっと忘れられへんし、よく考えると、生きてた時より存在が大きいのはなぜなんだろう…???とってもふしぎだよ。

〜自分にとって大事な人が亡くなったらみんなそうなるのと違うかな、私、母のこと、思い出さない日はないもの。存在も、生前より、亡くなった時より、今の方が大きい。
  たぶん、母も同じだったと思う、自分の父親のこと(私にとってはおじいちゃん)ばかり、しゃべってたから。母は小さい時に実母を亡くしているから父親が全てだった。私もなぜだか毎日、心の中で母と話しています。これが永遠の命なのかな。残された人の中で生き続けてるんやもんね。そう思えばはるかちゃんも姿は見えないけど生き続けている、みんなの中で。姿を見てきた者にとっては辛いんだけどね。
でも今、毎日母と体内会話していて思うのは、姿見えている時って相手のこと本当に観てたのかなって思うときがある。いつでも目の前にあるものと思っているので、以外と相手のこと見てなかったように思う。なんというか心の目では見てなかった感じ。



そう! ココなんだなー!!、と私は思った。
生きてる時は目の前に感じられるから、当たり前と思ってしまっている。それに気づいたのは、残念ながら、なくしてしまってからなんだけど、そこまで行き着かないと、目の前の存在の大切さがわからない。本とかには色々と書いてあるというのに、その大切さがわからない愚かさに情けなくなる…が、今さらどうしようもない。

〜そう、明けない夜はない!必ず朝は来る。泣いてても怒ってても笑ってても朝は来る。1日ずつ一歩ずつ、生きていこう。
我が子を自死で失った母親の悲しみは経験していない者にとってはどれほどの程度のものなのかわからないけれど、柳田邦夫著の「悲しみは人生の始まり」を読み、どれほど深いのだろうと想いを寄せています。こんな一文があります。
「その直後より、むしろ時間が経ってからのほうが悲しみの深みにストーンと落ちる感じが強い。平静を保っていてもある瞬間ふわっとクレパスに落ちるような、そういう心境になることがあります」
「悲しみの質は歳月と共に変わっていくのですね。生きよう、生きなければというエネルギーはいろいろな出会いやきっかけによって少しずつ取り戻して社会活動もできるようになってきたのですが、悲しみの感情は別なのです」


以上、友人との会話と私の気持ちを混ぜたものです。

はるかに会ったことの無い友達、ブログ上でのお友達でさえ、はるかのことを思い浮かべて下さっている。これ以上の感謝はありません。



そう…死んでから、よりBIGになるということが、わかりました。

そして、嘆きの激しさはおさまりつつあっても、年月の経過とともに悲しみが薄れるわけでは決してなく、
逝ってしまった人の存在感は更に増し、悲しみの質は変わりながらも、より孤立感を噛み締めながらも、生きていかねばならない気が致します。

亡き人を心の中に感じながら、生き抜くことが、私たちの大きな課題として与えられているのだと。



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はるかは庭の片隅の草花で、花束を作るのが上手でした。




「はるかの絵の本」できました。こちらです
帯と帯締めのバッグもここに置いております。