自転車の保管場所の「喜連瓜破」は、家からとても遠かった。
(ちなみに、難易度5「喜連瓜破」の読みの答えは「きれうりわり」です こんなヘンテコな読み方、どこから引っ張ってきたんでしょうねぇ???キレウリワリって、難しすぎでしょー。)
話しがそれました。
自転車を喜連瓜破に取りに行った帰り道、
その近辺をうろうろしてたら、広い川を見つけて・しまった。
私のよく知ってる有名な淀川なんかより、水量も豊かで広々としていてずっと素敵なながめでした。
「ここ、また来よう」という気になりまして、
天王寺から、柏原南口駅まで。
ほのぼのしてるでしょ。
少し曇りだったけど、
川幅も広く、どーんと開いた視界に青い空と白い雲が飛び込んできた。
今回は前回行った海より、ずっと良かった。
広〜〜〜い!
同じ大阪とは信じられないようなのどけさに包まれていた。
ずうっと上を見上げてた。
はるかを思い、わーーーーーっと叫びたくなったけど…声にはしなかった。
でも、あたりには人はいないし、川のせせらぎと時たま走る鉄道の走る音の他、鷺とかそんなのがいるだけなので、別に躊躇する必要なんかなかったんだけどね。
川辺にしばらく寝そべって、仰向けになり、空や流れる雲をながめ、川の流れに目を落とし、また川に掛かった鉄橋を渡る電車(大阪で2両編成の電車は初めて見た!)が行き過ぎるのをのんびりと眺め、
はるかちゃんは、言葉では「空を飛べますように」と何度も唱えていたけれど、私にははるかは水の底に溶け込んだようにも思えてしまうのはなぜなんだろうか。
この頃、私は、海・川・水・流れetcを知らず知らずのうちに捜してしまっている。
しばらくしてから、
大きく深呼吸して、
その辺りに点在する古跡郡をちょろちょろとのぞきながらまた近くの駅まで歩いた。
お墓なんだ。
大昔のお墓の中には何か今も居るのかな。
はるかはお墓に居ないとおもうんだよ。
あたりに店は何にもなかったので、お昼は天王寺まで戻って、お蕎麦を食べた。
懐かしのお蕎麦屋、家族亭を探したら、ハルカスに入っていたが、名前も変えて、メニューをグレードアップさせていた。そんなことせんでも十分美味しいのに。
私は昔ながらのシンプルな三宝そばをちゅるちゅるッと食べた。
家族亭のそばと蕎麦湯ははるかの大好物だった。
あれは梅田のガヤガヤした地下街の家族亭だったな。
蕎麦湯を何度も何度もお代わりしたはるかを思い出した。少し悲しくなったけど、
美味しいもんはやはり美味しかった。
秋の1日、のどかな散策を楽しみました。
ずっとまっすぐまっすぐ続いていくよう…
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