だいじなともだちに、私は、貴方に対してこのありがたい気持ちはね、
死んでも忘れないから、と伝えといた。
私はあの世に言っても忘れないよと伝えた。
この言葉は重い。 とても重い。
簡単に言える言葉ではない。
でも、伝えとかなあかん!そう思って。
私は言った。
はるかは死ぬ前に、死にたくなる前に、何で私に電話してくれなかったんだろう。
それだけ信用なかったのか?
嫌われてたのか?
私は53歳もすぎて、ばばあに近くなってるのに、生涯信頼できる友達がいる。
はるかが生きてる時からずっとずっとずっと、何回も私は言ってきかしてきた。
親はふつうは先に死ぬもんだから、イイ友達を作りなさいって。友達というのは時に親よりも安心して打ち明けられ、共感して貴方を助けてくれるかもしれんのだから、イイ友達をつくりなさいって。
はるかにそんな友達がおったのか、おらんかったのかわからんけど、
だって、はよなくなったから、、もうわからん。
でも、はるかの死にたい衝動を抑えるストッパーとなるひとはおらんかったのだろう。
私の場合はそれが本当になった。
教えたことが完全に跳ね返った形になってしまっている…ナミダ
伝わってたと思うけど、伝わってなかったのか。
私にはいい友達おるけど、
はるかにはおらんかったのか
はたまた、あの子の死と人間関係は、関係なかったのか。
いろんな気持ちがとぐろを巻いてぐるぐると交錯する。極限の自分を支えてくれる、このことを忘れなかったら、私は自ら死ぬことはない。とにかくがんばり続けなあかん。
こないだは…ぶざまでもなんでもいいからな、しぶとく生き続けよななんて言ってくれた。
死にたくなる前、はるかは私に電話してくれへんかった。
彼氏の方がよかったんや…
悲しい。悔しい。情けない。
でも、それもある意味でははるかの幸せだったと呼べるのかな?
私から産まれたくせして、
親を忘れて、
泣ける。
情けない。
やさしかったはるかには感謝。
たくさんの陽だまりのような思い出に感謝。
周りの人にも感謝。
なみだ。
何だかごちゃごちゃ。
最後は、やっぱり、
情けないというのがわたしにはいちばん似合ってる気がする。
死んでも忘れないほどのありがたさ、
そう言えるひとがいるシアワセ。
子供が消えた不幸。
はるかは「死んでも忘れない」そんなこと感じたことはなかったのかあったのか、
たましいはある、とひとは言うけど、
だって、返事がないんや。
喪失は埋まらない。
シアワセ探して拾って歩いているつもりだけど、
お笑い人生突っ走ってるけど、
これからまだ20年30年も生きるかと思うと、ほんとは、うんざりくる。
やっぱりかなしみ。ぽろぽろぽろ。