「日本における助け合い」

テレビの報道ニュースから。

ある北海道のトマト生産者のレポートを見て。


「鍛えられたんでしょうね、俺たちは。誰も支えてくれないから頑張るしかなかった」

「鍛えられたんですよ。
助けがなかったからこそ、自分でやるしかなかったから。」

このトマト生産農家は、JAに加盟して、国が保護する指定品種を作れば、国の厚い庇護を受けられる(日本では助け合いと、更にもひとつ言えば、周りに対する感謝はとても大切な概念だ。)その守りから離れて、あえて自分達だけで!JAの加護を受けずに!独自の品種改良改革を成し遂げたトマト生産者の話だ。

「そこ(JAの加護のもと)に居たら、心地よすぎて、自らの力を延ばすことができないんですよ。」と語っていた。

北海道の地で、懸命に独自の品種にあわせ、土の品質研究を重ね、それぞれのハウスごとに土を変え、工夫改良を何度も何度も繰り返し、そして、丹精込めて出来たトマトは、今は、有名レストランのシェフや、そこのトマトでないとという絶対顧客を獲得し、一般のトマトの数倍もの値段で取り引きされているという。
他にはない、極上のトマトを作るために試行錯誤を繰り返し、成功した努力のかたまりの生産農家の方が語っていた言葉です。

加護を捨ててまで、やる。


凄いなあ。 すごいなあ。


保護の手を離れて挑戦する、
その勇気、その努力、
結果はわからなくても挑戦するという事。
感銘した。





私と娘が、以前、お世話になっていた精神内科のお医者さんが、診療の最後に、しずかに私に言ってくれた言葉を思い出した。


「Qさん、
日本は弱いものが好きなんですよ。」

…  …  … …???


…弱いものが好き??



…弱いものを、助けるのが好き?


(そして、弱いものは、結果、周りに依存することになってしまう事が多いのだろうと推察した。)



「あのね、アメリカとかではこういう感覚はあまり考えられないのですよ。」と、先生は、付け加えた。



そして、帰り際、私に、
「お母ちゃん、がんばりやー」と言ってくれた。




離婚後も、へこたれずに頑張る私を見て、
「よーやるねー」と、
少し皮肉のこもったその言葉は、私は身内からでさえもよく浴びせかけられていた。


最後に「がんばりや」と、ひとこと言ってくれた先生。


そばにいない、
目の前に見えてない人に支えてもらうこと。

わたしは、イマ、それをとてもよく識っている。感謝。

目に見えないけれど大きな支え。


支えられてるけど、
助けられてるのと少し違う。




助け合いはとても大切な精神だ。

だけど、その助け合いの輪の中から、飛び出て伸びようとするものを、日本では、阻止する力が働くことも事実ではないだろうか。

出る釘は打たれる、

嫌だね、この概念。

そうでなく、

伸びる芽は伸ばしてくれへんのか???

なんでやねん???


(自分が頑張ってることが言いたかったのではないんです!)


頑張るのと我慢が大切、その上に弱いものが好きという感覚の上、だから助け合おう!
その精神の根底にあるものに少し疑問を持っていたので書きました。


すみません、

って言いたくなる自分が情けない、、。

ヘタレか!!!!!