こんにちは、ポテルカです。

 

ちょっとひどい見出しですね。

 

私は1961年生まれ。

 

その私が少年時代に見た戦争ドラマや戦争まんがのシーン。

 

サイレンが鳴る。

 

お母さんが急いで家の電気を消す。

 

遠くから飛行音がする。

 

息をひそめる。

 

飛行機の音が遠のく。

 

サイレンが止まる。

 

ほっとする。

 

にわかに爆発音。

 

大規模火災。

 

逃げ惑う市民。

 

焼野原となった東京。

爆撃を避けるために田舎に疎開する子どもたち。

 

原爆投下の物語の数々。

 

ですから、戦争というのは町ごと民間人が焼かれるものなんだと、ずっと思っていました。

 

空襲に遭った時、「民間人を狙うなんて、ありえない!」などという異議の唱えかたをした日本人は当時いたんでしょうか。

 

あるべき姿を知ったのはずっと後、1986年ですからもう社会人になった後ですね。

 

「プラトーン」という映画で、無抵抗のベトナム民間人を虐待したアメリカ人兵が軍法会議にかけられます。

 

その時も最初は、え、何で、何が悪かったの? と。

 

ですから、今回の戦争で、ウクライナの民間人が狙われたと聞いても、

 

戦争ってそういうものじゃないの、日本人も大勢殺されたんだけど、

 

頭ではわかっても、まだそう体が反応してしまうのです。


騒ぎ立てるほどのことじゃないじゃないよ、ということではないですよ、断固として。

 

今の極悪非道と報道されているロシアと、太平洋戦争で東京を完膚なきまでに焼き尽くしたアメリカは何が違うのかなと、つじつまを合わせられない自分の感覚にとまどっているわけでございます。