寺山先生は、むろらんの状態を一目見ただけで全てを察して、
行動でその全てを肯定してくれた。
――――――― そう、全てを。
それはつまり、こういうことだ。
それまでむろらんが取り組んできた様々な治療や療法、
自己分析と共にその時の自分に最適だと信じてきたもの。
全身全霊をかけて、まさに命を懸けて信じて行動してきて、
これまでにない体調不良という結果を招いたことに、
どれほどの不安と恐怖を抱えていたことか。
そんなタイミングで、寺山先生は、大丈夫、と態度で示してくれた。
それは、とても力強く、その笑顔だけで無条件に降参してしまうような、
そんな安心感を与えてくれるものだった。
そんな寺山先生の言葉と笑顔、手のぬくもりに、むろらんは涙した。
むろらんが人前で涙を流したことは、後にも先にも、この時だけだ。
思えば、病院で余命宣告をされた時から、
ずっとずっと、二人で生を手探りで模索し行動してきた。
行動することで、「これだけやっているのだから、大丈夫」という
安心感を頼りにしながらも、一向に良い結果が得られず、
何度も何度も「本当にこれでいいのか?」と自問自答しながら、
それでもなお、あきらめずに治ることだけを信じて行動してきた。
それら全てを肯定してくれるかのような、
寺山先生の一言は、一気にわたしたちの心を緩ませ。
思えばわたしたちは、誰にも、
そう、わたしたち以外には、誰にも。
―――― これだけ力強く、面と向かって、
「大丈夫」と言われたことがなかったのだ。
かつ、満面の笑みとともに届けられた、
「だって、手があったかいもん」
という無邪気な一言は、
それまでわたしたちが取り組んでいた療法を全て肯定してくれるものだった。
そう。
ただわたしたちは、
「よく頑張っているね」と。
「だから、今も生きているんだね」と。
ただ、
それまでの苦悩を全てひっくるめて、
ただただ、
今、
生きていることを。
それを、誰かに認めて欲しかったのである。