2〜3年前からでしょうか、
MBTIとか心理機能とかがどうでもよくなってきました。

自分のタイプがなんだとか、
他人のタイプはなんだとか、
昔は気になって色々と知りたかったのですが、
今はどうでもよくなってきました。

そんなことよりも、
「今、自分が持っている心理機能で何ができるのか?」
「今、〜するためには、何が必要なのか?」
ということを考えています。

簡単にいうと、
自己探求の旅を終わらすことができたのだと思います。

今は、
知的欲求を満たすことではなく、
生産をすることに興味が湧いていきています。

このように変われた要因は、
MBTIではなく、
エニアグラムの影響が大きかったように思います。

自分のタイプのエニアグラムの不健全さを
健全にすることできたこと、
これに尽きると思います。

そして、
不健全さな状態から健全な状態にできた要因は、
「愛」を知ることができたことだと思っています。

愛と言っても、
「家族愛」でも「男女愛」でも「自己愛」でもなく、
不健全な状態から健全な状態へと変えることに影響力を持ち、
ちゃんと機能する「愛」です。

この「愛」を知ることができたことが
とても大きな要因になったと思います。

そして、
その「愛」は「真理」でもありました。

だから、
自己探求の旅も終えることができた、
そう思っています。

「真理」を知らないので、
ずっと探し回ってしまうのだと思います。

「真理」を知れば、
あとはそれを使ってどうするか
ということに自然と意識が向いていきます。

探し物であった「真理」が見つかってしまったので、
もう探すことはできないからです。

その「真理」とはなんだと思いますか?

私の場合は、
真理と聞いて一番初めに思いつき、
一番それはないだろうなと思うものでした…。

第四エズラ記

「至高者は一つの世ではなく二つの世をおつくりになった。

高価な宝石をごく少し持っていたとしたら、鉛や土くれを宝石と一緒に財産に加えようと思うだろうか。

たくさんあるものとと少ししかないものと、どちらが高価なものであろうか。」

 

「得がたいものを手に入れた人はいくらでもあるものを得た人よりも大きなよろこびを感ずるに違いない。

わたしは救われるべき少数の者のために非常に喜んでいる。

なぜなら彼らによって今わたしの栄光があらわれ、わたしの名誉が明らかにされているからだ。

一方、わたしは滅びゆく多数の者についてはすこしも悲しまない。彼らは霧のようなもの、炎や煙に似たものであり、火で焼かれてまもなく消滅してしまうものだから。」

 

「この現世は終わりではない。ここには完全な光栄というものは宿っていない。だからこそ強い者が弱い者のために祈ったのだ。しかし審判の日はこの世の終わりであり、来るべき不朽の世の始まりである。来るべき世においては朽ち果てるということが過ぎ去り、罪にふけることもなくなり、不信は根絶やしにされ、義が増し、真理があらわれるのだ。だから、そのときにはだれひとりとして審判で罪に定められた者をあわれむことも、反対に勝利するものを傷つけることもできるものはないのだ。」

 

地上に生まれる人がだれでも戦わなければならない闘争はどんな意味を持つか教えてあげよう。もし人がこの戦いに敗れれば、お前の言ったような苦しみを受けるが、もし勝てば私の言ったような幸を与えられるのだ。これこそモーセが生前に人々に言った「生きようとするならば、自ら命を選べ」といったあの言葉の意味である。しかし彼らは彼を信じなかったし、彼の後に続く助言者も、 いや彼らに語りかけた私自身さえも信じなかった。それ故、彼らが滅びるときには、救いが確証されているもののために大きな喜びがあるほどには、彼らのために悲しむことがないであろう。

 

至高者はこのよう多くのもののために作られたが、来るべき世は少数の者のためにだけ作られたのだ。

 

現在あるものは今生きている人のためにあるが、将来のものはこの後の世に生きる人のためである。私の創造したものを愛することにかけては、お前は到底私には及ばない。

 

 

この世に住んでいる人々はおごり高ぶって生きているので終末のときには多くの悲惨な事を味わうであろう。だが、お前は自分のことをよく考えてみるがよい。そしてお前と同じような人々の受ける光栄を訪ね求めなさい。お前のためにはパラダイスの門が開かれ、命の木が植えられ、〇〇が準備され、豊かな富が用意され、安息が予定され、恵が確保され、知恵が出されているからだ。悪の子はお前に対しては封印され、病は消え失せ、次は託され、地獄も逃げ去り、腐敗は忘れられ、悲しみは過ぎ去り、 最後には不滅の宝が現れるだろう。

だから、滅びゆく多くのものについてはもう一切たずねるな。彼らもかつては自由を与えられたのに、至高者を軽んじ、その律法を侮って、その道を捨てたのだ。そればかりか、彼らは主の義人たちを踏みつけ、心の中で神はいないと言った。彼らはこんなことをすれば必ず死ぬことを十分に知っていながらあえてしたのだ。