母が亡くなって1週間がたちました。
昨日は初七日。コロナの関係もあって集まることも、お寺さんを呼ぶこともしませんでした。
父と姉と私とでいつも通りすごしました。
ようやく手続きもほぼ済んで、
明日からは姉も私も出勤します。
いろんな方から父の心配をされましたが、父も今の所いつも通り。
この1年半、母がいろんなことをできなくなって2年以上すぎていて、
父と私で家のことをやるのも当たり前、2人で生活するのが当たり前になってたので、
でも、今まで入院していても月に一度は会えていた母がいなくなったんだ…
という喪失感は少しあります。
母の様子がおかしくなって、
迷子になったり、話があまりできなくなったりして、
周りの人にそのことを話すと
『自分の親がそんなことになったら、どうしたら良いかわからない』
と言われたり、
身内(母の兄弟など)が自宅に会いに来ると泣かれたりしましたが、
私も姉も取り乱したり、泣いたり、落ち込んだりはほとんどしませんでした。
冷たい娘なのかなぁ、私たちは。
でも病気になったのは誰のせいでもないし、
体の痛みとかでなく、苦しかったりどうにもできない気持ちすら表せなかった母が一番辛かったと思う。
そう思うと、母を目の前にして、泣いたり、悲しい顔をしたりするのは違うんじゃないかと。
進行性核上性麻痺って、話せなくなったり、表情も出なくなったりするし、
もちろん認知機能の低下もあるんだけど、
多分母は認知機能は誰かわからなくなるほど落ちてはいなかったんじゃないかと先生も言っていたし、
きっともっと話したいこととか、言っておきたいこともあったかもしれない。
そう思おうと、一方的に悲しんだりしながら母とは話せなかったし、
亡くなった後もそう。
泣くのは違う、むしろあの病気の状態から解放されて本当に良かったね、
と私も姉も言ってあげたい気持ちでした。
いつでも言い残したこと言いに来てくれていいんだよーと思ってるけど、
夢にさえ全然現れてくれない(笑)ので、
思い残すことなく、今頃はライちゃんのこと抱っこして空から見てんじゃないかなー?
と思います。
ちなみに、通夜・告別式の間中、
ワンコたちは、トイレ掃除とご飯のためにしか帰れなかったので、
夜も(隣に義兄と甥っ子はいたけど)ワンコだけだったのですが、
いつもよりずーっとイイ子にしてくれてて(いつもいなくなると吠えるのに全然吠えない)
姉が言うには『ライちゃんが来てくれてた、きっと犬たちに言い聞かせてくれてた』らしいです。
ライちゃんもお疲れ様、母ちゃんのことよろしくね。