嵐のいた素晴らしき世界。

嵐のいた素晴らしき世界。

嵐さん、本当にありがとう。
これからもずっと大好きです。
嵐さんはずっと心の中にいます。

他、母が進行性核上性麻痺(PSP)と診断され、
その闘病についても書いています。
同じ病気の方々と繋がれたらと思います。

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2024年9月16日、午前1時過ぎ、最愛のメロンが虹の橋を渡りました。

インスタでは度々投稿させていただきましたが、こちらにも書かせていただきます。


9月13日に17才の誕生日をむかえ、まだ頑張れるかな、というような趣旨の投稿をインスタでしたばかりでした。でも、実は誕生日の数日前から、明らかな食欲不振、ひとくちふたくちしかご飯は食べてくれず、かろうじて水を飲める程度で…亡くなる前日、15日の夜に病院で水に溶かす流動食を出してもらったばかりでした。病院から帰り、夜、何度体制をかえてやっても、珍しく鳴きやまず、様子がおかしかったので、眼の保護のために付けていたカラーを外し、毛布に包んで抱き上げさすってやると少し楽になったのか大人しくなって。ベッドに戻してやり、近くで私も就寝したのですが、今思えば、大人しくなったその時には亡くなっていたようで。翌朝には冷たくなっていました。

最後に時間を確認したのは午前1時近くだったので、おそらくその時が最後でした。


17年と3日、小さい体で最後まで頑張ったメロン。避妊手術で入院した以外は、入院したこともなく、夜間病院にお世話になることも、一度もありませんでした。最後は病気持ちではありましたが、それが原因ではなかったのではないかと獣医さんにも言われました。


虹の橋には、先にいっているライトも、他のブログで出会ったお友達もいる、きっと元気だった頃のようにみんなと駆け回っていると思います。


ありがとう、メロン。

また、ウチの子としていつでも戻っておいでね。




母が亡くなって1週間がたちました。

昨日は初七日。コロナの関係もあって集まることも、お寺さんを呼ぶこともしませんでした。

父と姉と私とでいつも通りすごしました。

 

ようやく手続きもほぼ済んで、

明日からは姉も私も出勤します。

 

いろんな方から父の心配をされましたが、父も今の所いつも通り。

この1年半、母がいろんなことをできなくなって2年以上すぎていて、

父と私で家のことをやるのも当たり前、2人で生活するのが当たり前になってたので、

でも、今まで入院していても月に一度は会えていた母がいなくなったんだ…

という喪失感は少しあります。

 

母の様子がおかしくなって、

迷子になったり、話があまりできなくなったりして、

周りの人にそのことを話すと

『自分の親がそんなことになったら、どうしたら良いかわからない』

と言われたり、

身内(母の兄弟など)が自宅に会いに来ると泣かれたりしましたが、

私も姉も取り乱したり、泣いたり、落ち込んだりはほとんどしませんでした。

 

冷たい娘なのかなぁ、私たちは。

 

でも病気になったのは誰のせいでもないし、

体の痛みとかでなく、苦しかったりどうにもできない気持ちすら表せなかった母が一番辛かったと思う。

そう思うと、母を目の前にして、泣いたり、悲しい顔をしたりするのは違うんじゃないかと。

進行性核上性麻痺って、話せなくなったり、表情も出なくなったりするし、

もちろん認知機能の低下もあるんだけど、

多分母は認知機能は誰かわからなくなるほど落ちてはいなかったんじゃないかと先生も言っていたし、

きっともっと話したいこととか、言っておきたいこともあったかもしれない。

そう思おうと、一方的に悲しんだりしながら母とは話せなかったし、

亡くなった後もそう。

泣くのは違う、むしろあの病気の状態から解放されて本当に良かったね、

と私も姉も言ってあげたい気持ちでした。

 

いつでも言い残したこと言いに来てくれていいんだよーと思ってるけど、

夢にさえ全然現れてくれない(笑)ので、

思い残すことなく、今頃はライちゃんのこと抱っこして空から見てんじゃないかなー?

と思います。

 

 

ちなみに、通夜・告別式の間中、

ワンコたちは、トイレ掃除とご飯のためにしか帰れなかったので、

夜も(隣に義兄と甥っ子はいたけど)ワンコだけだったのですが、

いつもよりずーっとイイ子にしてくれてて(いつもいなくなると吠えるのに全然吠えない)

姉が言うには『ライちゃんが来てくれてた、きっと犬たちに言い聞かせてくれてた』らしいです。

ライちゃんもお疲れ様、母ちゃんのことよろしくね。

 

1月23日(月)昼休憩中に姉から連絡があり、

『今日今から来たほうがいいです。また血圧が下がっていて…』

と病院から電話があったとのことで、早退して病院へ。

やはり15分の面会のみで、帰宅することになるのですが、

その際病棟の方から

『明日からはいつでも事前連絡さえくれれば面会してあげてください』

とのことで。

25日は夕方私と姉が、26日は叔母(母の妹)も一緒に連れて行きたいため、

24日朝に姉が病院へ予約と叔母同行の確認を取るため連絡したところ、

『今日は来られないんですか?実はさらに血圧が下がっていてどうなるかわかりません』

と言われたのですが、出社したばかりで仕事の関係で私と姉がすぐ動けないため父が急遽面会に。

しかし再び15分の面会のあと、帰宅するよう言われたとのことで、

あまり変わりなかったと父から昼頃電話がありました。

その後は呼び出しもなく、定時まで仕事して帰宅時、

駅までつくと姉から着信。

『今から病院に来てって。今日は長くいることになるから、夕食も買ってから来てって』

と言われ、一度帰宅し、車で父と甥っ子を乗せて途中姉と合流。

買い物をして病院へ。

午後7時、病院へ到着。

病室には入れない甥っ子がいるため、まずは姉と甥っ子をロビーに残し、父と私で病室へ。

やはりかわりない…?と思っていたのですが、

つけているモニターの呼吸数も少ない。なんだか息も浅い気がする。

なんだか姉も来たほうが良い気がしてきて、一度交代のため私だけがロビーに向かいました。

途中後ろから看護師さんが追いかけて来て

『〇〇さん!お母さん、おそらく最後の時です!みなさんで病室へ!』

と言われまずロビーに走り、緊急なので特別に甥っ子も病室へ。

ご家族皆さんでお過ごしくださいね。としばらく家族で過ごし、

少し甥っ子には酷なので、甥っ子のみロビーに戻りました。

 

モニターの呼吸数はゼロ?え?これは…

と思っていたところに、看護師さんが入室。

『今、先生呼んできますので…』と再び家族だけに。

 

先生、なかなか来ない…

え、息してないよね?亡くなったってこと??

という状態の私たち家族でしたが…

 

ようやく当直の先生が到着。

母が亡くなったことがはっきり先生の口から告げられました。

 

あぁ、母ちゃん、家族が揃うの待っててくれたんだな、

甥っ子(孫)も病室に入れたし、

私も姉も仕事終わったあとだったし、

父には昼間も会えたし。

 

ちゃんとみんながいる時を選んでくれたんだな、と本当に思いました。

入院して1年半、そのうち一年近くはコロナ禍で会えず。

その後母ちゃん自身もコロナ感染してしまい、

本当はコロナがなかったら、もっと生きられたかもしれないけど、

本当にコロナが憎いですね。

 

でも、でもやっぱり嬉しかったのは、私たち家族に立ち会わせてくれたこと。

たった1人で病室でいかせずにすんだ。

病院からはなんども『最後には間に合わないと思います』と言われていたし、

覚悟もしていたけど、看取れたことは本当に良かったと思っています。

 

1年半の入院、発病から5年、母ちゃんお疲れ様でした。

また次生まれ変わっても、私の母ちゃんでいてほしいな。

頑張った母ちゃん、ゆっくり休んでね。

 

 

 

 

 

 

※母は発病から5年で亡くなりましたが、今回、死期を早めてしまったかもしれない原因は、

昨年のコロナ感染によるものも大きいです。コロナ感染する前のお話(昨年10月)ではあと1年前後とのことでした。

進行性核上性麻痺が発病してからどれくらい生きられるかは進行速度にもよります。母が基準ではありません。

現在闘病中の皆様も決して希望を捨てずに、治療・リハビリをしてほしいです。

そして、この病気を特定できる病院がもっと増えて欲しいと思います。