今年に入ってから、仕事に追われる毎日です。

忙しいことは幸せ、と思うようにしていますが、

それにしても、心の余裕だけは失いたくない。

 

それは、ピアノの演奏にも現れていることに気づいたので

ちょっと振り返ります。

 

先日、レッスンを受けている以外の先生に、

単発のレッスンをお願いいたしました。

 

個人として素晴らしい方とお見受けしたからこそ、

度胸を出して単発レッスンをお願いしたんです。

 

曲はベートーヴェンのソナタ。

 

先生は、とても細かく指摘してくださいました。

通常の指摘くらいであれば、

私も当たり前、と受け取るのですが、

何か、その日は違いました。

 

最近の私は、ここまで余裕のない演奏をしていたのだと気づいて。

 

考えてもみれば、このところの仕事の忙しさで、

とにかく、速く速く片付ける。

速く仕上げること、すぐに電話せよ。

そんなことばかりで、

いかに効率よくやるか、

外出するときは、次はどこ、次はどこ、

10分以内でさっさと歩け、と

とにかく無駄のないように。

 

 

そんなことばかりの時間に追われていて、

それが、すっかり演奏にも出ていることに気づかされました。

(もちろん、それだけではなく技術的な面も多々ありますが。)

 

伸ばす音は、すべて短い。

じっと待ってられないでさっさと次に入る。

 

 

恐らく、長年レッスンを受けている先生も

気づいておられると思います。

しかし、その先生は、長年の私を知っていますから、

私の好不調をよく知っておられて、

「今は、忙しいのね。」

くらいに思っているのだと思います。

さほど、細かい指摘はされません。

 

 

リズムの乱れや拍の無さなんて、

絶対にわかっておられるはずなのに細かい指摘はされません。

(単発レッスンを受けた曲とは別の曲ですが)

 

しかし、単発レッスンのいいところは、

遠慮なしに、とにかく、気づいたところをきちんとご指摘下さる。

もちろん、その先生が元々、しっかりとなさっているからこそなのですが。

 

 

 

細か~い指摘を受ける中で、

ベートーヴェンの気持ちが伝わってくるのですよね。

 

泣けてきました。

 

こんなにも深く細かい心情がこもっていたんですよね。

わかっていたはずなのに。

 

 

ピアノに向かうときだけは、

敬虔なる気持ちでもって向かいたいものです。

 

 

ベートーヴェンの手紙に、こんな下りがあります。

「私は、このピアノを祭壇と思ってあなたへ曲をお作りしましょう。」

 

 

最新のピアノの寄贈を受けたときの、

ピアノ製作者へのお礼の手紙です。

こんな手紙をもらったら、受け取った方は、

飛び上がって喜ぶでしょう。

贈った甲斐があるというもの。

 

 

ピアノを祭壇と思う。

宗教的なことは置いといて、

要するに、神様を祭るもの。

 

敬虔なるもの。

聖なるもの。

尊いもの。

 

 

ベートーヴェンは、そんな風に考えていたのですね。

しかし、ピアノ曲に限らず

これが、ベートーヴェンの作曲のスタンスに違いありません。

 

 

気持ち新たに。

 

では、また。

ありがとう星 星