あなたは言霊を信じますか?

言霊とは古代から日本にある考えです。言葉には魂が宿り、口にしたことが実現するという考え方。

賛否両論あるようですが、私は素敵な考えだと思いますし、言霊は存在すると思っています。

言霊が存在するからこそ、発する言葉は慎重に選ぶべきです。

 

この言霊ですが、時に組織や人に負の影響を与えることもあります。

それは負の言葉を発してしまった時…時に組織崩壊をもたらすような大きな力をもたらすことがあるのです。

そんなことを実感することが最近ありました。

  国内生保時代 上司の問題発言

 

youtubeのある動画で、人がイライラする原因の裏にその人の信念や強みが隠されていると言っていました。

 

例えば、順番を守らない人を見るとイライラする場合、世の中のルールや秩序を守ること、ズルはしない事を大切にしてきた人。

 

私の場合、何にイライラする事が多いか思い起こしていました。私は人に興味がないので、人に対しイライラすることは少ないです。ここ数年で最もイライラしたのは、3年ほど前の国内生保の朝礼。当時の上司たちの発言の数々に対してでした。

 

営業職員を軽視している発言、保険営業という仕事を否定するような発言、特定の人を間接的に傷つける事を目的とした発言…。

 

当時、上司たちは2つのことに必死でした。

採用と契約内容確認率の向上。

どちらも営業職員の協力が欠かせません。

営業職員をやる気にさせようと必死なあまり出た言葉なのですが、それは上司=会社にとって営業職員とは何なのか…

保健営業と言う仕事を会社はどう捉えているのか…その真実を表す言葉でした。

 

「営業職員は使い捨ての駒に過ぎない」

「保険営業は先が見えない仕事」

「言う事聞かない営業職員は不要」

 

言い方はもっと柔らかかったけど、こういう事を平気で口にしていました。

「営業職員は使い捨ての駒」発言については、個人的にはもっと酷い表現だったと感じています。

あの言い方に比べたら、使い捨ての駒と言われた方がマシ…そう感じる発言でした。

 

上司たちに悪気はありません。

営業職員の事を使い捨てと本気で思ってはいない。

この業界に20年いますが、当時の上司たちは性格は良い方でした。

 

 

  一つの会社で大きな安心だった頃

 

 

生保業界に初めて携わってから24年。

世紀も元号も変わり、社会も大きく変化しましました。

保険業界も大きく変わりました。

その原因の一つが複数の保険会社を扱える乗合代理店の台頭です。

 

24年前、生命保険と言えば国内生保。

カタカナ生保と呼ばれる外資系・他業種系生保は少なかった時代。

保険と言えば職場や地域の担当者、友人知人から入る人が非常に多かった。

 

国内生保各社はお客様の属性に合わせたパッケージ商品を中心に販売していました。

保障は死亡保障中心。その中で三大疾病でも出る保障は300万~500万程度。

専業主婦の奥さんと子どもが2人いる男性ならこの保障

独身男性ならこの保障

30代の女性ならこの保障

こんな感じ。収入や予算に合わせた金額の調整はありましたが、基本的にはパッケージ商品。

そんな中、カタカナ生保はオーダーメイドプランを売りにしていました。

が、基本的に一つの保険会社に任せていた時代だったのです。

 

例外はがん保険と医療保険。この保障を得意とする保険会社の商品にメインの保険にプラスして入る人が多かった。

外資系の会社です。50年ほど前、日本で初めて「がん保険」を販売した会社等…。

 

ちなみに医療保険ですが、当時も多くの保険会社が販売していました。

ただし、入院5日目からの保障と言うのが大半。

1日目から出る医療保険が一部で販売開始されていました。

 

がんと言えば不治の病、がん以外でも1回の入院が今より長かった時代。

入院5日目からでも給付金を貰える人が多かったのです。

この20年の間に日帰り入院からの保障が大半になりました。

背景には入院期間が短くなったことがあります。

 

 

  自ら相談に行く時代へ

24年経ち、世紀も元号も変わった2023年。保険の入り方も大きく変わりました。

元々変わりかけていたところに、新型コロナ騒動があり、一気に変化したのです。

 

24年前は数少なかった保険ショップが今は全国に点在しています。

「複数の保険会社を組み合わせ自分に合った保険にしたい」

というニーズが急増しています。

 

破綻したり合併したりで今は存在しない保険会社もあるので、数はそれほど変わっていませんが、

損保系、外資系、他業種系と保険会社の種類も増えています。

 

保険は身近にいる担当者に任せていた時代から自分で相談しに行く時代へと変わったのです。

これには社会の変化も大きく影響しています。

 

24年前、私も最初の半年間は職域(企業)営業をしていました。

出入り許可書があれば保険会社の担当者は企業に出入り自由。

中には訪問時間が昼休み等に限られている会社もありましたが、

オフィスの中に入って営業活動することが許されていました。

 

昼休みになると色々な保険会社の人がやってきて、営業していました。

長年その会社を担当している生保レディの中には自分の席まで持っている人もいたようです。

社員から「あのおばちゃんに任せておけば間違いない」と信頼されていた。

「新入社員の時に会社に来ていた保険のおばちゃんに言われるままに保険に入った」

と言う人が沢山いた時代でした。

 

担当が頻繁に入れ替わる会社も多かったけど、それでも毎日保険会社の人が営業しに来ていました。

親せきや友人が保険屋になって、お願いされて入ったという人も多い時代でした。

専業主婦が多かった時代、主婦が昼間家にいたので、地域の担当者が訪問してきて仲良くなって…と言う事も多かった。

 

以前は保険屋自体が今より身近な存在でした。

 

今はオフィスへの出入りは厳しく管理されています。

保険屋どころかヤクルトさんさえもオフィスの中には入れない時代。

ヤクルトさんはオフィスの入り口、保険屋は食堂やエレベーター前と営業できる場所が制限されるように…。

そこに新型コロナウイルスの流行が追い打ちをかけました。

食堂やエレベーター前でなら営業活動が許されていた会社も多くの会社で出入り禁止になっていきました。

ヤクルトさんは滞在時間が短いので出入り禁止になった会社は少ないようですが、保険屋は出入り禁止。

 

共働き家庭が増えて、主婦も昼間家にいない時代になりました。

さらに新型コロナウイルスの流行で、飛び込み営業を歓迎しない保険会社が急増。

 

以前は身近な存在だった保険屋が、余り身近な存在ではなくなってきたのです。

 

そんな時代に勢力を拡大したのが乗合代理店。

保険ショップの他に訪問型の乗合代理店も急速に勢力を拡大。

自ら相談に行って保険に入る人が急増していきました。

 

生保業界もオンライン化が進んでいます。

保険相談から保険加入まで全てオンラインでできるようになって来たのです。

保険ショップも訪問型乗合代理店も急速にオンライン化が進んでいます。

 

一方で国内生保はオンライン化の波に乗り遅れています。

今でも対面営業を非常に大切にしていて、オンライン化が進まないのです。

生保レディの高齢化が進んでいて、オンラインで営業できるようになっても、システムを使いこなせない…

使いこなせない事はないけれど、やはり対面営業が一番分かりやすい…

そんな背景もあって、国内生保はオンライン化が余り進んでいないのが現状なようです。

 

このまま1社専属の保険営業は衰退してしまうかといえば、そんなことはないと思います。

「保険は信頼できる人から入りたい」「定期的に訪問してくれるなどアフターフォローもしっかりして欲しい」

といったニーズはなくなることはないでしょう。

 

生保業界も多様化の時代になったのです。

 

今回は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

10月1日で今の代理店に移籍して1年が経過しました。同時に初めて保険業界に入って24年。

 

途中、5年強のブランクはありますが、社会人生活の大半を過ごしてきた保険業界。

この24年で社会と共に業界も大きく変化しました。

 

24年前の私は23歳の新社会人でした。

時は平成不況真っ只中の就職氷河期…やっとの思いで就職した会社が入社3ヶ月で倒産。

職歴があるので第二新卒枠が使えず、中途採用枠には経験が浅すぎる…中途半端な立場で、再就職先探しは難航。

そんな時に声をかけてくれたのが、大手国内生保でした。

 

  固定電話→PHS・ガラケー→スマホ

 

保険屋になる入り口も人それぞれ…私の場合は電話…それも実家の固定電話☎でした。

1999年…20世紀の終わり、元号が平成になって10年強…まだまだ昭和の名残がある時代でした。

 

私の人生を変えた1本の電話…。

若手社会人女性向けのアンケートと謳っていましたが、実は転職希望者を探すのが目的。

多分、何かの名簿を見て電話したのだと思います。

 

「名簿を見て電話」にも時代を感じますね。

名簿の入手先ですが、多分、高校関連です。

年に一度、全校生徒の住所と電話番号が載った名簿が配られていたので、その名簿の可能性大。

今ならとんでもないですが、そういう時代だったんです。

そして名簿は外部に漏れまくりでした。

名簿を売り買いする業者も存在していた時代です。

 

成人式や大学卒業が近づくと着物関連会社からDMやセールス電話が多数。

「千葉英和高校卒業生の方に特別」と名簿の入手先を明かして電話してくる業者もいたほどです。

 

人脈で商品を売るセールスマンたちは高校や大学の卒業生名簿を使って営業していた人も多かった。

保険業界でもS社やP社など、人脈を持つ社会人男性を中心に採用している会社の営業マンは同窓会名簿を活用していたようです。

国内生保は新卒採用の営業職員が採用に活用…上司に言われて名簿を貸していましたが、特に罪悪感なし…。

ちなみに名簿の売り買いは今でも違法とは言えないようです。

 

 

  勤労意欲が低かった24年前

生保営業は離職率が高く、出入りが激しいのは周知のとおりです。

今は少しマシになりましたが、それでも出入りは激しい。

常に人手不足でザル採用を続ける会社が多いのも昔と変わらず。

ただ働く人の意識は結構変わったと感じています。

少なくとも国内生保は大きく変わりました。

 

24年前…まだ「女性は結婚したら仕事を辞めて専業主婦になる」という考えが根強く残っている時代でした。

父親の収入だけで、それなりに豊かな暮らしができた最後の時代ともいえます。

新卒部門除いて営業職員になるのは、子育てが一段落した専業主婦中心。

長く働こうとか稼ぎたいという人は少数派で、日当が貰えて、お弁当も出る試験前の勉強会にお小遣い稼ぎで来る人も多かった。

3ヶ月の研修だけ出て辞める人も多数。

中には色々な保険会社の研修を渡り歩いている人もいました。

当時は3ヶ月の研修後に本採用という会社が殆どだったのです。

確かに10時から16時まで机に座っているだけで一日5000円程度もらえて、お弁当も出る仕事…美味しいです。

保険会社の研修…楽しいですし…受けて売れるようになるかは…自己責任ですが…。

研修に参加してくれれば、営業部の評価が上がるので、採用した側にとっても美味しい。

保険会社本体にとっては歓迎すべきことではないですが、見て見ぬふり…。

 

長く務める気も稼ぐ気もなく、3ヶ月で辞めるつもりで生保レディになった人たちに勤労意欲を求めるのは酷です。

3ヶ月で辞めるつもりで入ったけれど、やってみたら仕事が合っていて楽しくて仕方がない…さらに高収入に…

という人も100人に1人くらいいて、そういう人たちは保険営業という仕事に誇りを持っていた。

「この仕事の素晴らしさ」を熱く語る人もいました。

そういえば、最近、そういう人、あまり見かけません。

勤労意欲が低かったのではなく、高い人と低い人で両極端だった時代だったのですね。

 

「24時間戦えますか」の影響も多少残っていた24年前…総合職男性の勤労意欲は今よりずっと高かった。

今はワークライフバランスが重要視される時代なので、若い総合職の勤労意欲は当時と比べると低いです。

今の若い人は24時間戦うくらいなら会社辞めてしまうでしょう。

 

私のいた新卒部門は短期間で辞めるつもりで入社した人は殆どいませんでした

就職氷河期まっただ中…国内生保各社の新卒営業は中堅の文系女子大生の受け入れ先の一つでした。

他に内定をもらえなかったからここで数年経験を積んで…という人が多数いました。

入社数年内の新人は勤労意欲は高くなく、若い女性として標準的か少し低めなくらい。

ベテランと呼ばれるようになると「この仕事は素晴らしい」でしたが、彼女たちさえも結婚等ですんなり辞める人も多かった。

中には総合職のエリートと社内結婚して寿退社…と考えている人もいた…らしいです。

 

これは余談ですが、4月に純粋な新卒として入った人たちは同じ支社配属の総合職(男性中心)と一緒に研修を受講。

大半が総合職男性を異性と意識せず、「三高のエリートでもアイツは恋愛対象ではない」だったのだそう。

が、同じ支社の一般営業部のお姉さま方は総合職男性は息子同然に可愛い存在で…。

同姓友人感覚で立ち話していたら、お姉さま方に睨まれたこともあったのだとか(同僚の体験談)

実際に総合職男性と新卒営業女性の社内結婚は結構あったのでしょう。

この業界、意外と出会いがないので、社内結婚が多いのです。(これ、今も変わりません)

新卒営業女性はお客様と結婚する人も多かったです。

営業先も名の知れた大企業が大半でしたから…。

 

これは国内生保に限った事です。

1999年頃はP社やS社など、外資系・異業種系の保険会社が勢力を拡大していた時代です。

これらの会社は優良企業の優秀なビジネスマンをヘッドハンティングしてきて、

研修で職業意識を高めるように教育して友人知人にアタック。

国内生保との差別化を図っていました。

P社やS社の人は職業意識が高く、使命感に燃えていて、知識も豊富でしたが、離職率はやはり高かった。

人脈が続かず辞めていく人が多かったようです。

 

 

  保険屋が天職の人が代理店を渡り歩く現在

24年前も今も人手不足で採用に必死な会社が多いのは変わらず。

ただし、国内生保も採用する側もされる側も「長く務める」という意識は高まっています。

「3ヶ月で辞めて良いから…」は多くの会社で禁止されています。

共働きが当たり前になり、「長く続けられる仕事」と思い入社してくる人が多いです。

離職率は高いですが、24年前ほどではない。

カタカナ生保はあまり変わっていないかもしれません。

 

保険屋を天職と感じている人は増えています。

ただし、「この仕事は素晴らしい」「この会社に一生を捧げる」という考えの人は減った。

 

24年前は保険屋と言えば、女性は国内生保、男性はカタカナ生保…いづれにしても1社専属。

P社などは業界経験者を採用しませんし、業界内で転職する人は少数派でした。(研修を渡り歩いていた人たち除く)

 

24年間最大の変化は複数の保険会社の商品を扱う乗合代理店の台頭でしょう。

乗合代理店は経験者の採用に積極的。

固定給から歩合制まで様々な働き方の代理店が出てきています。

歩合制の代理店もリーズ中心から人脈中心まで色々あります。

歩合制でも保障給はある会社、ない会社…歩合部分も様々です。

 

多種多様の働き方ができるようになった為か、

一つの代理店に長くとどまるのではなく、よりよい代理店があれば移籍していく人が多いのです。

私の同期は14人いますが、うち11人は業界内転職でした。

1年経った今、残っているのは6人。1年で8人が退職しています。

うち6人が業界内転職ですが、6人とも他代理店に移籍した可能性が高い。

 

私のいる支社はこの1年で5人が退職しましたが、全員が他代理店への移籍です。

元々他の代理店や保険会社を複数経験してから、今の代理店に移籍してきて、

短期間(1か月~1年)で他代理店に移籍していきました。

各自にとっての「より良い条件」の会社が見つかって移籍していきました。

 

「より良い条件」については各自異なると思います。

安定した収入を求めた人、人間関係が深い会社を求めた人、法人営業をやりたかった人、リーズの豊富さを求めた人…

 

もう一つ、この業界を象徴するようなエピソード

比較的大きな全国規模の代理店の廃業が決定。

募集人の受け入れ先として最大手の代理店が名乗りを上げました。

担当の契約を持って移籍することが可能。

廃業する代理店も受入代理店も歩合制。

労働条件等は変わらないか、良くなるくらい。

が、この代理店、転職時、新しい勤務先にお客さんの移管ができない。

ここがネックとなって移籍を躊躇している人が多いようなのです。

今のお客様は連れて行けるのですから、この会社に長く在籍するなら何の問題もないのです。

が、長くいるかどうか確信が持てないので、躊躇する。

 

保険会社直属含め歩合制の保険営業は個人事業主です。

24年前に比べて、個人事業主という意識は強まっているのかも…。

会社は変わっても、保険屋は保険屋…だから、より良い所を求めて移籍する。

 

代理店で成功している人はヘッドハンティングされて、より歩合が高い代理店へ。

上手くいかなかった人は居づらくなって、自分で探して他の代理店へ。

入社後1~2年以内に抜ける人は抜けていって、残った人は長く活躍。

代理店側もそれを見越して採用しています。

優秀な人材は引き抜き合いです。

 

生保業界はいち早く雇用流動化が進んでいるのです。

保育業界や介護業界も流動化が進みつつあるようで…。

これからはもっと色々な業界に広がっていくかもしれませんね。

 

今回は以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。