辛いこと、悲しいことって

なるべく避けて通りたいですよね。

 

 

最近よくいろんな本やブログで

≪人生は思い通り≫というワードが散見されます。

 

 

わたしもそういった類の思考はスキだし

そういう人生を歩みたいと思っているひとりです。

 

 

 

でもまだまだ私はそのレベルまで達していないので、

(ここでのレベルはお金持ちとか名声とかではなく、精神的なレベル)

思い通りにいかず心がわさわさすることもあります。

 

 

 

特に2月は常に心揺さぶられていました。

急上昇からの急降下だったので、

嬉しいことも、悲しいことも、憤りをかんじたことも

短いスパンで心があっちいったりこっちいったり。。。

 

 

わたしという人間を拒絶されているかのように感じたし、

あの時こうしてれば・・・と自分を責めました。

 

確かにわたしに全く非がなかったわけでもないと思います。

 

 

でもあのときのわたしが精いっぱい考えて

あのときのわたしにとってとったベストな行動だったと思うから

 

後悔はしません。

 

 

2週間弱、自分の頭で考えて反省して、

逃げずに向き合ったからまずは自分をほめてあげようと思います。

 

 

今までのわたしは自分の自信のなさから

 

 

こんなことも許せないのはわたしの心が狭いからだ・・・

  ほかの人だったらきっとガマンできるんじゃないか

 

この現状はわたしの言動が原因で引き起こしてしまったんじゃ・・・

 

と、自分の気持ちに自信が持てず、

 

友人などに一部始終話し、

≪それは嫌だよね~≫という共感・同情をもらうことによって

これでよかったんだな。と勝手に安心していました。

 

 

でもこれって一時的に心が満たされるだけであって

今後も同じことがあった時また同じようになってしまう。

もし、周りの人が共感してくれず、逆に説教されたりなんかしたら

わかっていてもプイってなってしまう気がするんです。

 

だって、ただ話きいて、

共感してもらって安心したいだけだから。

 

 

これって自分の気持ち全く大切にできていないなあ。と気づきました。

 

 

人がなんと言おうと、

自分が嫌だ。悲しい。と思ったり感じたなら

その気持ちを大切にすることって本当に大事なんだと。

 

 

こういう負の感情を感じても、なかなかそれを素直に

嫌だ!と思うことができない性格でした。

わたしにも原因があるのかも・・・とウジウジ

 

ガマンするのが美徳。という日本人らしいなと我ながら思います。

 

 

でも、それじゃわたしの気持ちがかわいそう。わたしがかわいそうなんです。

 

 

嫌なものは嫌でいいじゃん。

許せないことがあってもいいじゃん。

 

 

それを周りの人に悪口として言いふらしたり、

ネットに書き込むといったマイナスなことは自分の質も下げちゃうからよくないけど、

 

 

でも心の中で

これはわたしにとって嫌だ。こうされたらわたしは悲しい。

 

 

と、主軸を“わたしは”として考えていくことが必要。

 

大好きなきゃりーちゃんのもんだいがーるって曲でも言ってる。

 

 

“だれかを責めるときには「みんなとちがう」というけど

毎回「みんな」にあてはまる そんなやつなんているのかよ”

 

 

感覚とか別にみんなと違ったっていいじゃん。

 

道理に反さない限り、

なにが正しくて、

なにが間違いとかないんですよね

 

 

 

ほんとうは嫌なことを

≪わたしはそんなことじゃ怒りません。≫って

いい子ちゃんでいたってなにも得しない。

 

 

そう考えさせられただけでもこの経験は

わたしにとってプラスになったことでしょう。

 

 

まだまだ思い通りにはいかないけれど、

意味のないことなんてないんだなあ。と

これからも日々精進していきたい次第でございます。