「ゆるむ」ことへの恐れ —力みが自我となる | めるもバレエ metamorphose Ballet

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バレエスタジオをつくることになり、奮闘する様子を中継してます。

2024年2月オープン
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 私達は日々多くの情報にさらされています。現代では、半径の狭い範囲だけでなく世界中から情報はやってきます。たとえ平凡であたたかい日常生活を送っていても、世界を単なる平凡であたたかい場所だと認識することは情報化社会では許されません。どこかで殺人事件があり、どこかで戦争があり、どこかで環境破壊があり、どこかで飢えがあり、それらの原因に自分も加担しているという重荷を心の隅に抱えて人々は生きることになります。

 私達は実際の生活の中に起こる直接的なストレスに加え、常に提供され続けるここではない場所の情報や、知らない人々の思考や行動によってもたらされる間接的なストレスにもさらされていると言えます。
 こういったストレス下にある身体はだんだんと萎縮し、凝り固まっていくことになります。

 人々の力みや凝りをどのように解放していけるのか。これはピラティスのインストラクターとして日々の課題です。手技を使わないため直接的に組織をリリースすることはないのですが、生活をどのように過ごすか、ストレスへの対処や心構えについてなど、何かできることはないか考えています。

 さて、先日私のパートナーを相手にこの「ストレス=力みの解放」を試みておりました。ゆったりとした音楽をかけ、わたしが誘導しながら共同作業でまず大きな「凝り」を認識していきます。「凝り」は身体にこびりつきそこにあることすら認識されていないので、それが「ある」という感覚を得るところから始めます。全身のボディ・マッピングです。

 そこで凝りに手を触れていて、あることに気づきました。なぜ人は力をゆるめられないのか、力むことをやめられないのか。そこには一種の恐れがあるのではないかと思いました。「ゆるめること、自分の身体がゆるむこと」自体を無意識に恐れていて、なかなかそこに向かっていけないのです。ある意味、「力みがあってこその自分」という状態になっている。

 力みの解放では、言葉での誘導も大切になります。「子宮の中で、お母さんの羊水に浮かんでいるところを想像してみてください。あなたは守られていて、周りの空間は温かさと優しさで満ちています。あなたを傷つける人は誰もいません。」とかなんとか言ったりしたのですが、それは現実には起こり得ないことです。子宮に戻ることは叶わず、日々容赦なく傷つけられる環境で仕事をし、家族の心配をし、その上残酷なニュースがネットやテレビを通して人々の心に突き刺さります。それらの強い刺激から身体を守るには、力みの鎧を身に着け防御することが必要となり、ゆるんで無防備になった身体は無惨に引き裂かれてしまうかもしれません。

 「ゆるむ」とは、「退行」と一部同義であるのではないかと思いました。悟りとはその先にある境地なのかもしれません。社会のごたごたに影響されず、自分の身体と精神のみが存在する澄んだ世界。そこに行きたいかどうかは別として、時にはちょっとした瞑想によって浮き世の混乱から自らを逃避させ、身体をゆるめることは現代人には必須のような気がします。人生は長期戦です。
 
 一般的な社会人が退行を恐れるのは当然です。力みや凝りは手放したいが、それを解放すればすなわち現在の自分が危うくなる、大人でいられなくなるという潜在的な恐れと力み/凝りが共存している場合があるかもしれないと考えました。

 仕事や家庭などへの責任感が強い人や、また社会的な意識が高い人ほど力みが強くなる可能性もあると思います。想像の中だけでも社会人としての責任を放棄し、許されることでしか鎧を脱ぐことはできないとしても、自らの鎧によって身体を痛めつけていては外的要因である社会/環境と内的要因である心理面の両方から自分をいじめていることになってしまいます。

 平たく言えば時々アホになって力を抜く習慣をつけるのも、身体の知性と呼べるのではないかと思います。


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